「河尻」の名字の由来 | |
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■ 河尻(かわじり)
【2023/02/07:改編】
# 熊本県の河尻家: 肥後国飽田郡河尻荘(熊本県熊本市)をルーツとする。鎌倉時代に河尻荘の地頭となり下向した。醍醐天皇の子孫の醍醐源氏を称す。【出典】
# 河尻家(かわじりけ): 甲斐国の武田家が滅亡後に、甲斐国を任されたのが河尻秀隆だが、本能寺の変後の混乱で死亡。次男の河尻直次は美濃国苗木1万石。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、弟の子孫が江戸時代には旗本。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】
# 河尻(かわじり): 美濃国の国人で、「川尻」とも書いた。1565年の織田信長の美濃入りで猿尾山城が落城し、その後に河尻秀隆が入って勝山城(岐阜県加茂郡坂祝町勝山)城主になった。秀隆は織田家の縁戚ともいい、織田信武を経て、織田信長に従った。信長の甲斐攻めでは軍目付として活躍したが、本能寺の変の後に、武田家の遺臣の蜂起にあって討ち死にした。長男の秀長は豊臣秀吉に仕えて、1595年に美濃苗木城で1万石を領した。関ヶ原の合戦で西軍に属して伏見城を攻め、さらに関ヶ原に転じて討ち死にした。二男の鎮行の子孫が旗本になって存続した。【出典】
# 「河」のつく名字。
■ 川尻(かわじり)
【2022/03/21:新載】
# 岐阜県から北陸地方にかけてと、西九州に多く見られる。【出典】
# 岐阜県では、郡上郡和良村では3位。ほかに、能登半島にも多く見られる。また、九州では長崎県北松浦郡鹿町町では3位。【出典】
# 「川」のつく名字。
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