「北小路」の名字の由来
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■ 北小路(きたこうじ) 

【2026/10/08:改編】

# 公家の名字。

# 藤原姓北小路氏: 藤原姓の北小路氏は、1697年に三室戸誠光の二男の徳光が柳原資廉の猶子となって一家を興し、北小路氏を称したのが祖。子の資福の死後いったん中絶したが、1733年に外山光和の子の光香が再興した。家格は名家。明治時代に子爵。【出典】

# 大江姓北小路氏: 大江氏系の北小路氏は、室町時代以降代々近衛家の諸大夫となり、江戸時代初期には北小路氏を称した。江戸時代後期には俊常と俊矩がそれぞれ堂上に列して公家となった。明治時代には俊常系は子爵に、俊矩系は男爵へ。【出典】

# 平姓北小路氏: 平氏の出の北小路氏もある。1358年に安芸守定が二条家の諸大夫から尚薬となり、以後代々足利氏の侍医をつとめた。江戸時代には北小路氏と改称した。【出典】 

# 公家の名字で、藤原姓と大江姓の二流がある。【出典】

# 藤原姓の日野流の北小路家は、元禄10年(1697年)に三室戸誠光の二男の徳光が柳原資廉の猶子となって一家を興し、北小路氏を称したのが祖。子の資福の死後、数年間中絶したが、享保18年(1733年)外山光和の子の光香が再興した。明治維新後には子爵。【出典】

# 大江姓の北小路家は、室町時代以降代々近衛家の諸大夫を努めていたが、慶忠・快俊と二代続けて聖護院宮坊官となり、快祇が非蔵人となって北小路家を称した。弘化4年(1847年)に快常が堂上に列せられた。明治維新後には子爵。【出典】

# また、俊祇の二男の俊光は明暦3年(1657年)に非蔵人となって一家を興して、こちらも天保2年(1831年)に俊矩の時に堂上に列せられた。明治維新後、男爵になったが、明治34年に俊岳が爵位を返上した。【出典】

# このほかに、平姓の北小路家もあった。延文3年(1358年)に安芸守定が二条家諸太夫から尚薬になり、以後は代々足利氏の侍医を務めた。江戸時代に北小路氏と改称した。【出典】

# 「小」のつく名字。

# 「東西南北」のつく名字。

# 「道・路」のつく名字。

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