「高城」の名字の由来 | |
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■ 高城(たかぎ)
【2022/11/22:改編】
# 陸奥国の高城氏は留守氏の庶流。宮城郡高城(宮城県加美郡色麻町)をルーツとする。留守顕宗の子の宗綱が高城氏を称し、代々伊達氏に仕えた。江戸時代には仙台藩士。【出典】
# 薩摩国の高城氏は桓武平氏の出。渋谷光重の子の重貞が高城氏を称した。【出典】
# 旗本の高城氏は藤原南家の工藤氏の庶流。戦国時代には北条氏に属した。【出典】
# 現在は、関東地方に多く見られる。【出典】
# 薩摩国の渋谷氏の一族。薩摩国高城郡高城郷(鹿児島県薩摩川内市)発祥。渋谷光重の六男の重貞の子の重秀が高城氏を称し、妹背城(薩摩川内市)に拠った。室町時代には島津総州家に従った。1422年に水引城の嫡流と五代城の庶流に分かれ、水引高城氏は島津氏奥州家の久豊に攻められて落城、嫡流は滅亡した。その後、東郷氏の一族が高城氏を再興した。【出典】
# 下総国東葛飾郡の国人。桓武平氏の千葉氏の庶流とも、藤原南家の二階堂氏の一族という。小金城(千葉県松戸市)に拠り、原氏に従った。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めでは胤則は小田原城に籠城、落城後には蒲生氏郷、佐久間安次に仕えた。子の胤重のときに徳川秀忠に仕え、江戸時代には旗本。【出典】
# 高城家(たかぎけ): 家紋「九曜紋」【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
・ 下総国葛飾郡小金(千葉県松戸市)を本拠地とした。
・ 藤原南家の為憲流。二階堂胤行の子の胤忠が高城に改姓し、紀伊国から下総国に転じた。江戸時代には旗本。
# 富山県の高城家
# 「高」のつく名字。
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