「牛込」の名字の由来 | |
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■ 牛込(うしごめ)
【2023/05/19:改編】
# 4487位
# 全国に約2600人
# 「牛込」とは「牛を囲っておく牧場」を意味するほか、「込」は「多く集まるところと」いう意味もある。
# 東京都北部から群馬県にかけて多くみられる。
# 藤原北家秀郷流の足利氏の庶流で大胡(おおご)重国の子の重行が上杉朝興(ともおき)に仕えていたが、北条氏康の招きで武蔵国牛込を所領し、重行の子の勝行が1555年に牛込氏を称した。1591年に徳川家に仕え江戸時代には旗本。
# 武蔵国荏原郡の国衆。藤原北家秀郷流の足利氏の庶流。大胡重国の子の重行は上杉朝興に仕えていたが、北条氏康の招きに応じて武蔵国荏原郡牛込(東京都新宿区)に転じた。その子の勝行は牛込城を築き、天文24年(1555年)には北条氏康から牛込氏を名乗ることが許され、牛込氏に改称した。これは武蔵江戸氏の庶流の牛込氏の名跡を継いだ可能性がある。なお、大胡氏から重行に至る系図には異論もある。北条氏の滅亡後には、勝重が徳川家康に仕え、江戸時代には旗本。【出典】
# 牛込(うしごめ): 東京都新宿区。地名の由来は、牛の牧にちなむと伝え、「新編武蔵」に「駒込馬込など云うも皆牧ありし所とみゆ。込は和字にて多く集まる意なり、爰も牛の多く居りし所なれば名づけし」と見える。【出典】
・ 牛込郷: 南北朝時代から武蔵国荏原郡にみられた郷名。暦応年間、領主に江戸近江権守の名がみえる。南北朝期以来、江戸氏一族牛込氏の支配するところとなった。戦国期に上野国大胡の大胡重行が牛込氏の家督を継ぎ、小田原北条氏の臣下となり、子勝行は天文24年から牛込氏を名乗る。【出典】
# 牛込注左衛門重忝(しげのり)
・ 長崎奉行(遠国奉行の筆頭)
・ 牛込氏はもとは足利氏を称した。重俊のときに上野国大胡(群馬県前橋市)を領し大胡氏を称した。さらに勝行のときに北条氏康に仕え武蔵国牛込(東京都新宿区)を領し、牛込氏を称した。【江戸の名奉行 43人の実録列伝 丹野顯 文春文庫】
# 「牛」のつく名字。
# 「ウシ」の資料集
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