「井伊・伊井」の名字の由来 | |
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■ 井伊(いい)
【2022/10/28:改編】
# 代表家紋
# 愛媛県や東海地方に多くみられ、特に愛媛県宇和島市や愛知県小牧市に多くみられる。
# 遠江国引佐郡井伊谷(静岡県浜松市)をルーツとする。藤原北家の出。藤原共資の子の井保が井伊谷に住んで井伊氏を称した。南北朝時代には南朝に属し、室町時代には一族を多く輩出し、引佐郡に大きな勢力をもった。戦国時代には今川氏に従ったが、1563年に直親が今川氏直に殺されたため、子の直政は1575年に徳川家康に仕え、子孫は彦根藩主。また直政の子の直勝は徳川秀忠に仕え、1615年に上野安中藩3万石をたてた。その後、三河西尾を経て、1659年に遠江掛川3万5000石に転じた。1705年に直朝のときに発狂して除封されたが、本藩の直矩が跡を継いで、越後与板2万石で再興した。明治時代には子爵。【出典】
# 本来は「井(い)」だったが、読みづらいので「いー」と伸ばして「井伊」の字をあてた。【日本人なら知っておきたい 家紋と名家のいわれ 大野敏明 実業之日本社】
# 遠江国引佐郡井伊谷(静岡県浜松市北区引佐町)をルーツとする。
# 藤原北家の共保(ともやす)が井伊谷(いいのや)に住んで井伊を称した。
# 徳川譜代の井伊家は遠江の豪族で浜松の北の井伊谷(いいのや)の出で藤原冬嗣の子孫と言われる。今川家に仕え、後に徳川家に仕えた。
# 藤原冬嗣の7代後裔の共資が遠江国に土着し、この共資が井伊谷の八幡宮御手洗井戸に捨てられていた赤ん坊をもらい受けて養子とし、これが井伊家の始祖の共保(ともやす)。【井伊直虎と謎の超名門「井伊家」 八幡和郎・八幡衣代】
# 新潟県の井伊家
# 長野県の井伊家
# 滋賀県の井伊家
# 寛政重修諸家譜: 江戸幕府が各大名にその由緒を提出させてまとめたもので、寛政重修諸家譜では井伊家は藤原北家良門流とある。【井伊直虎と謎の超名門「井伊家」 八幡和郎・八幡衣代】
# 「井」のつく名字
# 「伊」のつく名字
■ 伊井(いい)
【2014/06/02:新載】
# 「井伊」と分布が似ており、「井伊」から転じたものもあるとも言われる。
# 井伊家の雑学
# 井伊家
# 国衆(国人)
# 「井」のつく名字
# 「伊」のつく名字
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