「秦」の名字の由来 | |
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■ 秦(はた、しん)
【2022/02/02:改編】
# 660位
# 漢字一文字苗字ランキング: 24位
# 代表家紋
# 西日本を中心に広くみられるが、大分県では「しん」と読む。
# 渡来人。応神天皇の時に秦の始皇帝の十五世と伝える弓月君が一二七県の民を率いて渡来したのに始まる。五世紀には山城国葛野郡(京都市右京区太秦付近か)を本拠として、養蚕・機織りの技術で朝廷に仕えた。以来、一族は淀川流域一帯に広がった。603年には秦河勝が広隆寺を建立、683年には連姓を賜った。また、長岡京や平安京の造営にも活躍した。【出典】
# 京都の稲荷神社の神官の秦氏も一族。711年に秦伊呂具が稲荷神社を創設、代々神官を務めた。【出典】
# このほかに、土佐の戦国大名の長宗我部氏が秦氏の子孫と言われる。【出典】
# 大分県:81位、島根県:143位、愛媛県:245位、福岡県:265位、徳島県:359位、〜山形県1492位。
# 秦の始皇帝の末裔と称する渡来系の古代氏族で日本書紀には百済(くだら)から来訪し住んだと記載されており、山城国に土着して「秦」を名乗った。
# 秦氏の嫡流は惟宗朝臣。惟宗忠久は近衛家に仕えていた。実母が源頼朝の乳母子だった縁で、鎌倉に下り武士化した。
# 秦から派生した名字には「太秦(うずまさ)」「惟宗(これむね)」「宗」「島津」「長宗我部」「川勝」「東儀(とうぎ)」などがある。
# 秦氏の出は、対馬の宗氏、越中の神保(じんぼう)、四国の長宗我部氏など。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】
# 京都の広隆寺は秦氏の氏寺。
# 秦氏の功績: 土木技術で京の桂川を制御して開発。藤原氏が勢力を拡大するにつれて、秦氏の朝廷での力は弱まった。どの氏族もだけどねぇ。伏見稲荷や松尾大社も秦氏が開いた。
# 秦氏はイスラエルからの移民説。広隆寺に五芒星が描かれているって、それだけで?ちょっと無理がありそうだが、不詳。
・ 広隆寺の境内に「伊佐良井(いさらい)」という井戸があるが、これは「イスラエルの井」が訛ったものとも言う。
・ 太秦(うずまさ)の「うず」は「Ishu(イシュ)=Jesus(イエス)」、「まさ」は「Messiah(メシア)」に通じる。
※ この説は初めて聞きました。なんの本に書いてあったのかなぁ??
# 欽明天皇の時代に、泊瀬の河(奈良県桜井市の初瀬川)に洪水がおきたときに、川上からひとつの壺が流れ下った。三輪の杉の鳥居のほとりで、雲客(殿上人)がこれを拾うと、中に嬰児が入っていた。麗しく、玉のようだったため、天から降って来たのではないかと思い、内裏に奏聞した。その夜、天皇は夢をみて、嬰児は次のように述べた。「私は大国秦の始皇(始皇帝)の生まれ変わりです。日本に縁があってこうしてやってきました」という。天皇は奇特に思い、殿上に召された。成人すると、才知は抜群で、十五歳で大臣の位に昇り、秦の姓を下賜された。「秦」という文字は「はだ」とも読むため、これが「秦河勝」である。
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