その他の古代豪族
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■ 会津(あいづ)氏: 「会津」の名字の由来

・ 陸奥国会津郡(福島県の会津地方)の氏族。無姓。一族には続日本紀の延暦八年(789年)甲戌条にみえる会津壮麻呂の名がみえる。壮麻呂は、延暦八年の征討に進士(志願兵か?)として参加して討ち死にしている。【出典】

■ 青海(あおみ)氏: 「青海」の名字の由来
  
・ 神別系氏族。氏名はのちの三河国碧海郡碧海郷(愛知県岡崎市)か、または越後国蒲原郡青海郷(新潟県加茂市)の地名に基づくと思われる。姓は首。新撰姓氏録の右京神別下に、「青海首。椎根津彦命之後也」とある。【出典】

■ 秋原(あきはら)氏: 「秋原」の名字の由来

・ 崇神天皇の皇子の豊城入彦命の後裔氏族。姓は朝臣。秋原朝臣氏の旧氏姓は我孫公(阿比古)で、承和三年(836年)十一月、河内国の人故従七位下我孫公諸成、散位阿比古道成らが秋原朝臣の氏姓を賜った。我孫(我孫公)氏は新撰姓氏録の未定雑姓、摂津国および和泉国に、豊城入彦命の男八綱多(田)命の後裔と伝わる。秋原の氏名は�軅�らの居住地であった河内国の地名に基づく。【出典】

■ 味真(あじま)氏 :「味真」の名字の由来

・ 越前国今立郡味真郷(福井県越前市の旧武生市)の豪族。姓は公。一族には承和六年(839年)四月、越前国から平安左京五条二坊に貫附された造兵司正正六位上の味真公御助麻呂がいる。【出典】

■ 飛鳥戸(あすかべ)氏: 「飛鳥戸」の名字の由来

・ 氏名は飛鳥部・安宿戸・安宿とも書き、のちの河内国飛鳥戸(安宿)郡(大阪府南河内郡)の地名に基づく、この地を本拠とした渡来系氏族。姓は公・造。本宗の公姓氏族に安宿公奈杼麻呂がおり、万葉集にも歌二首を載せている。奈杼麻呂は飛鳥部奈止丸とも書き、桓武天皇に寵愛されて安世王を生んだ百済宿禰永継の父である。一族の多くは河内国飛鳥戸を本拠とするが、三代実録の貞観五年(863年)十月十一日庚午条にみえる飛鳥戸造有雄は隣郡の高安郡を居住地としており、飛鳥戸造氏は隣郡の高安郡にも居住していた。日本後紀の弘仁三年(812年)正月辛未条には右京人正六位上飛鳥戸造善宗・河内国人正六位飛鳥戸造名継は百済宿禰と賜姓されたが、これ以後、飛鳥戸造氏の一族は百済宿禰と賜姓された。【出典】

■ 語(かたり)氏: 「語」の名字の由来(名字は確認できず)

・ 大嘗祭などの宮廷祭祀に古詞を奏上する語部を率いた伴造氏族。姓は当初は造、天武天皇十二年(683年)に連に改姓した。語部は美濃国・丹波国・丹後国・但馬国・因幡国・出雲国・淡路国などの諸国に分布していたが、出雲国には語臣を称する氏族がいた。これは、出雲国造であった出雲臣と同族関係にあった氏族だろう。【出典】

■ 語部(かたりべ)氏: 「語部」の名字の由来(名字は確認できず)

・ 宮廷の祭儀に古詞を奏上する部民で、各地に置かれ、伴造の語連に管掌された。この古詞は大和朝廷に服属した地方豪族が、その服属の確認と誓約をあらわし、あわせて天皇の御代を寿ぐ政治的な寿詞。【出典】

■ 韓国(からくに)氏: 「韓国」の名字の由来

・ 辛国とも書いた。物部氏の枝氏の一つ。姓は連。本拠地は和泉国和泉郡唐国(大阪府和泉市北松尾町唐国)の地か。氏の名の由来は続日本紀の延暦九年(790年)十一月壬申(十日)条にあるように、物部氏の一族が韓国に派遣されたことに由来する。しかし、韓国の名が朝鮮半島からの渡来人の氏族かと訝られることを嫌い、氏の居住地名に因って高原と改姓されんことを願って許された。【出典】

■ 木(き)氏: 「木」の名字の由来

・ 百済国人津留牙使主の後裔を称する渡来系氏族。山城国紀伊郡草深郷(京都市伏見区草深)を本拠とする。姓は臼佐。新撰姓氏録の山城国諸蕃に末使主同祖津留牙使主の後とある。【出典】

■ 内蔵(くら)氏: 「内蔵」の名字の由来

・ 漢氏系渡来氏族。姓は宿禰。旧姓は忌寸。忌寸以前の旧姓は直。阿知使王の子の都加使主を祖と伝える。古語拾遺に、内蔵の氏名は朝廷で皇室の財物を扱う内蔵の管掌者であったことに由来する。しかし、同書に大蔵の簿を勘録したとある漢氏の職掌は王辰爾を祖とする今来漢人の職掌で六世紀以後とする説がある。続日本紀の延暦四年六月癸酉条に「坂上。内蔵。平田。大蔵。文。調。文部。谷。民。佐太。山口等忌寸十姓十六人賜姓宿禰」とみえ、延暦四年(785年)六月に同族の坂上氏・文氏らとともに宿禰を賜姓された。【出典】

■ 佐々貴山(ささきやま): 「佐々貴山」の名字の由来

・ 近江国蒲生郡篠笥郷(滋賀県蒲生郡安土町)を本拠とする豪族。狭狭城山・佐佐紀山とも書いた。姓は君(公)。日本書紀の顕宗天皇元年五月条に狭々城山君韓?宿禰が罪を得て綾戸とされた後、妹置目の功によりその兄の倭?宿禰に本姓狭々城山君氏を賜うとある。また日本書紀の孝元天皇七年二月条に狭々城山君が阿倍臣・膳臣など七族とともに大彦命を始祖とする所伝がある。【出典】

■ 志太(しだ)氏: 「志太」の名字の由来

・ 信太とも書く。物部氏の後裔氏族。姓は連。氏名は常陸国信太郡(茨城県稲敷郡)の地名による。続日本紀の養老七年(723年)三月戌子条によると、常陸国信太郡人物部国依が信太連の氏姓を賜っている。常陸国風土記に信太郡の建部申請者として物部河内・物部会津の名がみえるが、以後物部氏が代々郡司の職を世襲した。信太連への改賜姓以後、信太郡領家は信太連を称した。延暦五年(786年)には常陸国信太郡の大領物部志太連大成が私物をもって百姓を救った功績で外正六位上より外従五位下に、延暦九年(790年)には外従五位上に昇叙された。陸奥国にも志太連氏がおり、志太連宮持が弘仁二年(811年)に勇敢を褒められ外正六位下から従五位下に昇叙された。この志太連氏は常陸国の信太連氏の同族と考えられるが、陸奥国にも志太郡志太郷(宮城県三本木町周辺)があり、その地名に由来するとも思われ不詳。【出典】

■ 信太(しのだ)氏: 「信太」の名字の由来

・ 百済からの渡来系氏族。姓は首。氏名は和泉国和泉郡信太郷(大阪府和泉市王子町信太一帯)の地名に基づく。新撰姓氏録の和泉国諸蕃に「信太首。百済国人。百千後也」とある。百千(はくち)の名は他には見えないが、日本書紀の神功皇后摂政六十二年条所引の「百済記」に見える百久至(はくち)と同一人物の可能性もある。一族は須恵器生産の技術をもって信太郷の地に定住したと考えられる。信太首氏の一族の名は他には見られない。信太郷にある聖神社は延喜式の神名帳に記載され、信太首氏の氏神社と考えられる。また和泉市上代町にある信太寺跡は信太首氏を含めた渡来系氏族の氏寺だったと言われる。【出典】

■ 四比(しひ)氏 : 「四比」の名字の由来

・ 百済の滅亡に伴って渡来した氏族。一族の四比福夫は達率(百済の官位十六階の第二位)の位をもち、天智天皇四年(665年)八月に筑紫に遣わされて大野・掾の二城を築いた。ほかに、和銅七年(714年)十一月、亡夫氏直果安の父母に対する孝養をもって課役を免除された大和国有智郡人四比信紗、天平七年(735年)ころ左京大属であった四比元孫がいる。【出典】

■ 島根(しまね)氏: 「島根」の名字の由来

・ 敏達天皇の孫、百済王の後裔氏族。姓は真人。新撰姓氏録の左京皇別に「島根真人。大原真人同祖。百済親王之後也」とある。百済親王については同じく左京皇別、大原真人条に「諡敏達孫百済王」とあるが、古事記や日本書紀にはその名は見えない。あるいは、古事記の敏達天皇段にみえる日子人太子(押坂彦人大兄皇子)の子の多良王が百済王にあたるか。【出典】

■ 下養(しもかい)氏: 「下養」の名字の由来

・ 崇神天皇の皇子、豊城入彦命の後裔と伝える上毛野氏系の氏族。姓は公。新撰姓氏録の大和国皇別に「下養公。上毛野朝臣同祖。豊城入彦命之後也」とある。氏名の由来、および氏人などは不詳。【出典】

■ 前部(ぜんほう)氏: 「前部」の名字の由来

・ 高句麗(高麗)系渡来氏族。氏名は高句麗の五部の一つである前部による。日本後紀の延暦十八年(799年)十二月甲戌条にみえる前部氏ら渡来系氏族の者が本号を改めて氏名を賜った記事中に「己等先高麗人也。小治田(推古)。飛鳥(舒明)二朝庭時節。帰化来朝」とある。前部氏の一族は天平十九年(747年)に力田によって外正六位下より外従五位下となった前部宝公以降、八世紀まで知られるが、多くは氏姓や氏名を賜り、御坂連・柿井造・御坂造・広篠連・安坂・村上・朝治の諸氏になった。このうち、広篠連氏となった前部虫麻呂は平城左京の人。また安坂氏となった前部鋼麻呂、村上氏となった同黒麻呂、篠井氏となった同秋足、朝治となった同貞麻呂らはともに信濃国の人で、信濃国には前部氏が分布していた。【出典】

■ 匝瑳(そうさ)氏: 「匝瑳」の名字の由来

・ 物部氏系氏族。姓は宿禰。旧氏姓は物部匝瑳連・宿禰で、物部匝瑳連氏時代の本拠は下総国匝瑳郡(千葉県匝瑳郡周辺)。続日本後紀の承和二年(835年)三月辛丑条に物部匝瑳連氏が物部小事大連を祖とすること、物部匝瑳連熊猪が宿禰姓を賜って本貫を平安左京二条の地に移したことがみえる。この後まもなく氏名は匝瑳と改めたらしい。物部匝瑳氏、匝瑳氏時代を通じての特徴は鎮守府の高官に就任したことである。【出典】

■ 高槻(たかつき)氏: 「高槻」の名字の由来

・ 百済系渡来氏族。氏名は延喜二十二年(922年)四月五日付の和泉国大鳥神社流記帳にみえる「高槻里(和泉国大鳥郡大鳥郷高槻里・大阪府堺市)」の地名によるか、未詳。姓は連。新撰姓氏録の左京諸蕃下に「高槻連。出自百済国人達率名進也」とみえる。高槻連氏の旧姓、連姓となった年次や氏人は未詳。【出典】

■ 高円(たかまど)氏: 「高円」の名字の由来

・ 石川朝臣の後裔氏族の一つ。姓は朝臣。高円の氏名は大和国添上郡の高円山(奈良県奈良市)に基づく。天平宝字四年(760年)二月に石川朝臣広成が高円朝臣の氏姓を賜ったのに始まる。新撰姓氏録の右京皇別下に「高円朝臣。出自正六位上高円朝臣広世也。」とある。【出典】

■ 利波(となみ)氏: 「利波」の名字の由来

・ 礪波とも書く。のちの越中国礪波郡(現在の富山県砺波市・東西礪波郡周辺)を本拠とした豪族。姓は臣。孝霊天皇または孝元天皇を祖とする。利波臣氏が出自を前者から後者の系統に乗り換えたか、祖を異にする本・枝二流の利波臣氏が存在したかのいずれかであろうが、越中石黒系図の利波臣氏が核をなしたことは確実である。【出典】

■ 御室(みむろ)氏: 「御室」の名字の由来

・ 出自は不詳。大同〜弘仁期(806〜824年)に御室朝臣今継は式部少輔・出雲介・大学頭・越後守・図書頭を歴任し、同氏継は薩摩守に、同是継は大隅権守・筑後権介になった。【出典】

■ 宮(みや)氏: 「宮」の名字の由来

・ 渡来系氏族と考えられるが出自は不詳。続日本紀の大宝二年(702年)十一月庚辰条によると、美濃国不破郡の渡来系氏族と考えられる。一族には医業を営んでいた者の名が見える。【出典】

■ 李(り)氏: 「李」の名字の由来

・ 唐からの渡来系氏族。無姓から、後に忌寸。一族の人としては李元環が知られる。李元環は天平宝字五年(761年)十二月に忌寸の姓を賜り、その後さらに清宗宿禰の氏姓を賜った。【出典】

【姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細】 

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