井上馨
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■ 井上馨(いのうえかおる)【出典

・ 1835−1915年。享年81歳(病死)。

・ 出身地: 周防国。

・ 肩書き: 長州藩士。政治家。

・ 井上馨は、長州藩士の次男として生まれた。藩校の明倫館に学んだ後に、尊皇攘夷派の志士になり、高杉晋作らとイギリス公使館焼き打ちにも参加。しかし、伊藤博文らとイギリス留学し、国力の違いを見せつけられて帰国してから、開国論に転じた。井上は、第一次長州征伐で藩内の恭順派に襲われて重傷を負った。しかし、第二次長州征伐で復帰。高杉晋作らと挙兵して、幕府軍に勝利した。明治政府では、情報収集と財政面の能力を買われ、外務大臣、農商務大臣、大蔵大臣などを務めた。井上は、三井財閥と密接に関わって、賄賂と利権が批判された。【出典】


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