広田弘毅
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■ 広田弘毅(ひろたこうき)【出典

・ 1878−1948年。享年71歳(刑死)

・ 出身地: 福岡県。

・ 肩書き: 外交官、政治家。

・ 広田弘毅は、福岡県の貧しい石材店の家に生まれた。旧名を丈太郎。「弘毅」とは、「論語」から自らとってつけた名。地元の高等学校から東京帝国大学法学部にすすみ、外交官になって外務省にはいった。広田は、イギリス、アメリカに赴任後、欧州局長になって対ソ関係の改善に尽力した。1933年から、斎藤内閣、岡田内閣で外務大臣をつとめ、協和外交を目指して、中国に対して融和的外交を始めた。二・二六事件で岡田内閣総辞職をうけて、広田が総理大臣になった。広田は大規模な人事異動と、将校15名の処刑を含む軍の粛正を断行したが、同時に軍部の意見を取り入れざるを得ず、軍部大臣現役武官制を復活し、軍事拡張予算を成立させた。その後、近衛内閣でも外務大臣を務めたが、日中戦争の拡大に対し黙認する立場をとり、戦争は泥沼化した。戦後、東京裁判で、広田は文官中ただひとり、A級戦犯容疑者とされ、絞首刑になった。


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