| 金森頼錦 | |
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■ 金森頼錦(かなもりかよりかね): 飛騨国の高山の街を作った大名茶人の金森長近の子孫は、森林資源を狙った幕府に、出羽国上山に転封されたが、5年後には高山に近い郡上に戻され、引っ越しで財政が苦しいのにもかかわらず、金森頼綿(よりかね)は風雅な生活をおくって財政は困窮した。困った、藩の首脳は寺社奉行で姻戚の駿河国の相良藩主の本多忠央(ただなか)を通じて、勘定奉行の大橋親義と相談して、徴税強化のために辣腕のものを派遣してもらったが、農民一揆が勃発したので、美濃郡代の青木安清の手を借りて鎮圧した。農民達は、江戸で駕籠訴や箱訴を繰り返したが、要求は聞き入れられず、そのために一揆の勢いは増して、宝暦8年(1758年)に老中首座の堀田正亮が吟味して、金森頼綿だけでなく、本多忠央も改易となり、処分が幕閣にも及ぶ大事件になった。【出典】
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