豊臣家の人々
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■ 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

■ 豊臣秀頼(とよとみひでより)

■ 豊臣秀勝(とよとみひでかつ)

・ 1569−1592年。豊臣秀吉の姉の次男で豊臣秀次の弟。病死した羽柴秀勝の遺領を継いで、丹波国の亀山城主になった。その後、美濃国に転じたが、文禄の役の際に、朝鮮で病死した。秀勝の妻は浅井長政の三女の江(ごう)で、後の徳川秀忠の正室。【出典

■ 豊臣秀次(とよとみひでつぐ)

・ 1568−1595年。豊臣秀吉の姉と三好吉房の長男。秀吉の嫡男の鶴丸の死後、秀吉の養子になって秀吉に代わって関白になった。小牧・長久手の合戦では徳川家康に惨敗したが、その後は武功を重ねた。秀頼の出生後には、秀吉との関係が悪化して、謀反の罪によって高野山に追放されて、自害させられた。【出典

■ 豊臣秀長(とよとみひでなが)

・ 1540−1591年。豊臣秀吉の弟。秀吉の中国攻め以降、主要な戦いで補佐した。有能な副官といわれ、調停役としても政権内部を支えた。【出典

■ 豊臣秀保(とよとみひでやす)

・ 1579−1594?年。豊臣秀吉の姉の三男で豊臣秀長の養子になった。秀長の死後、藤堂高虎の後見をうけて、紀伊国大和国を領した。【出典


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