静岡県内の「大沢」の名字の詳細 | |
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■ 大沢(おおさわ): 静岡県の大沢家
# 静岡県の大沢家: 高家。藤原北家の公家の持明院家の一族。丹波国多紀郡大沢(兵庫県篠山市)をルーツとする。江戸時代の豪商。藤原北家の出。戦国時代には今川家に仕え、後に徳川家に仕えた。【出典】
・ 高家。公家の持明院家の一族という。貞治年間に基秀が遠江国敷知郡村櫛荘堀江(静岡県浜松市西区)に転じて堀江城を築いて、子の基久の時に、父の所領の丹波国多紀郡大沢(兵庫県篠山市)にちなんで大沢氏を称した。1569年に基胤のときに徳川家康に仕え、江戸時代は旗本2550石で堀江に陣屋を構えた。1644年に基将のときに高家となった。【出典】
# 静岡県内では、西部に広く見られ、清水市(現静岡市)では最多。【出典】
# 遠江国の大沢氏は、関白の藤原道長の末裔で、子孫の左中将基長の孫の基秀は貞治年間に、堀江城(浜松市)に住んで、その子の基久が父祖代々丹波国多紀郡大沢を領したのにちなんで大沢氏を称した。基久の六代孫の左衛門佐基房は今川氏親に服属、その孫の左衛門佐基胤は今川氏真に属したが、1569年に徳川家康に仕え、堀江城を安堵される。孫の基重は徳川秀忠に仕え敷地郡の内2550石を領し、子の基将より代々高家となって、明治維新後に堀江藩主1万石となった。【出典】
# 見附宿(磐田市)の医家の大沢家の先祖は美濃国から転じたといい、子孫は東京帝国医科大学大学長を務めた。【出典】
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