宝永地震・富士山大噴火
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■ 宝永地震・富士山大噴火

・ 宝永4年(1707年)10月4日、東海、南海、西海道にM8.4の地震がおこり、津波も発生した。それに連動して富士山も大爆発した。火山灰は江戸にも及んだ。 

# 宝永地震・富士山大噴火

・ 宝永4年(1707年)10月4日・11月23日

・ 有史以来の富士山の三大噴火。��延暦の大噴火��貞観の大噴火�J�永の大噴火。

・ 宝永地震と富士山の宝永の大噴火を合わせて、「亥の大変(いのたいへん)」という。

・ M8.4または8.7と言われる。

・ 震源地は遠州灘から紀伊半島沖で、南海トラフの全域にわたるプレート型の地震で、「記録に残る日本最大級の地震」と言われる。

・ 津波は伊豆、八丈島から四国、九州に及ぶ。下田で5〜7m、紀伊半島で5〜10m、阿波で5〜7m。

・ 11月23日の富士山の大噴火では、M4から5の地震が数回おこった。この噴火による影響は直接的なものだけではなく、その後数年にわたって降灰によって飢饉が続いた。

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■ 宝永富士山噴火

・ 宝永4年(1707年)11月23日10時。富士山が噴火。土石流、噴石、火山灰飛散、河川氾濫。死者数不明。

・ 新井白石の「折たく柴の記」に「23日の昼過ぎに雷の音を聞き、江戸からみて南西の空には黒い雲が立ちのぼり、稲光がしていた。白石が自宅を出て、江戸城についたころには白い灰が地面を埋め尽くした。」

・ 当時江戸には4cmの降灰があった。

・ 富士山の宝永大噴火は、宝永地震の49日後に発生。

・ 宝永4年(1707年)11月23日10時頃、富士山は噴火を開始。噴火活動は12月9日まで続き、死者は数十人程度だったが、火山灰の影響は大きかった。火山灰の落下地域は駿東郡、足柄下郡、足柄上郡など小田原藩の領地が主で、多い所では3mにも及んだ。

・ 当時「諸国高役金(たかやくきん)」という臨時の税金の通知が幕府から諸大名や旗本、代官に通知された。その内容は全国から百石につき二両。仙台藩を例にとると1万2400両と膨大。勘定頭の荻原重秀は48万両の復興特別税ののうち、復興に使用したのは16万両で残りは幕府の財政赤字の穴埋めに使った。

※ なんか、今の時代に通じる内容だったりして。

・ 復旧工事(御手伝普請)を命ぜられた中心は岡山藩の池田家(35万石)で、池田家は酒匂川の復旧のために100人前後の藩士を派遣し、工事費として約6千両を負担した。

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