| 「名代」の地名の資料集 | |
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■ 「名代」の地名の資料集: 日下、長谷
・ 屯倉がひろくおかれる前の王家の領地は「名代(なしろ)」とか「御名代(みなしろ)」と呼ばれた。その代表的な地名が、日下、長谷などである。日本書紀には、名代設置の記事が多く見られる。しかし、名代の実態はよくはわかっていない。四世紀から五世紀にかけての時期は、王家のなかで大王の権威が絶対的にはなっていなかった。つまり、幾人かの有力な王族が並び立っていた。かれらは、「宮」と呼ばれる広大な御殿を営んで、そこでさまざまな役人や私兵をつかっていた。そのような王族の一人が大王になると、かれの宮が王宮になった。名代の持主である王族は、名代とされたところを自分の領地と考えた。一方、名代になった地方豪族たちは自家の子弟が王家に仕えることを誇ったと思われる。なお、相続者のいない王宮が外戚などの豪族に受け継がれることもあった。そういったものは「子代(こしろ)」と言った。【出典】