| 「后、太子の領地」の地名の資料集 | |
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■ 「后、太子の領地」の地名の資料集: 私、壬生
・ 名代の中で特別のものとされたのが、「私部(きさいべ)」と「壬生部(みぶべ)」である。それは、大王の権威の確立のために欠かせなかった。かつては、大王に正妻はおらず、王位継承者とされた王子の地位も確立していなかった。しかし、六世紀の継体天皇の時代に、初めて王族出身の正妻をおいて、彼女を大后(おおきさき)と呼ぶようになった。そして大后の長子が王位をつぐことになる。継体天皇は、このような大后制度をつくることによって、大王の「身内争い」を防ごうとした。そのような大后の領地が私部であった。皇后の名称は、七世紀末の天武天皇のときに作られたが、実質的にその実態は継体天皇の時代に作られたといえる。そのころは、王家の血統の純粋性を保つために近親結婚が繰り返された。【出典】