「安曇」の地名
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■ 安曇(あずみ)の地名

「あずみ」という地名は航海民に由来する。「あずみ」は「あまずみ」がつまってできた。古代人は水平線によって空と海を分ける発想がなかった。従って、空・海を分け隔てなく「あま」と呼んでいた。海で生活する航海民を「あま住み」で、それが安曇になった。安曇野市の穂高神社の祭礼にも、御船祭(みふねまつり)があるように、安曇野の住民は昔は航海民だった。
朝廷の水軍を率いた豪族を安曇氏と言った。安曇氏は海岸沿いの各地に領地を持ち、そこに済む人達を「安曇」「海人(あま)」「海部(あまべ)」と言った。「海部」と言う地名や名字も多く存在するが、現在では「かいふ」と呼ぶ。

・ 安曇(あずみ)は「あまつみ」がつまってできた。古代には、山の神は「山祇(やまつみ)」、海の神は「海祇(あまつみ)、綿津見(わたつみ)」と呼んだ。「あま」も「わた」も「海」を表す古代語。海の神の「海祇(あまつみ)」を祀った豪族が安曇氏。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】 

・ 「安曇」の資料集

■ 安曇(あずみ・あづみ): 古代氏族の安曇氏に由来する。長野県松本市安曇、長野県安曇野市(あづみのし)。

・ 安曇(あずみ): 長野県南安曇郡安曇村(現松本市)。明治7年当時の郡名による。【出典】

・ 安曇野(あずみの): 長野県安曇野市。海人族の「安曇(あずみ)」氏が、古墳時代の頃にこの地に住んだことに由来する。【出典】 

・ 安曇野(あずみの): 平成17年(2005年)に、南安曇郡の豊科町(とよしなまち)・穂高町(ほだかまち)・堀金村・三郷村と、東筑摩郡明科町(あかしなまち)が合併して安曇野市が成立した。安曇野のルーツは、海洋民族である安曇族に由来する。もともと、安曇族は古代海士部を統括した豪族で、その拠点としたのは、金印が発見された福岡市の志賀島で、そこに鎮座する「志賀海神社」が安曇族の拠点であったとされる。【出典】

・ 安曇(あづみ): 旧安曇村。長野県松本市。長野県の中部。松本市の西部に位置する。梓川の上・中流域を占める。もとは、南安曇郡安曇村。2005年(平成17年)に、松本市へ編入。【出典】

■ 北安曇(きたあづみ): 長野県北安曇郡

・ 安曇郡は古代の倭名抄に見える信濃国の郡名。明治22年(1889年)に郡の分割による。安曇郡の北部のこと。安曇の語源は、アヅ(崩壊地形)・ミ(接尾語)か。アズとアヅの違いが問題になるが、アダなども「崩壊地形」の用語とすれば、アヅもその系統の地名用語といえるのではないだろうか。【出典】

・ 長野県の北西部に位置する。1879年(明治12年)に、安曇郡が南北に分割して成立。【出典】

■ 南安曇(みなみあづみ): 長野県南安曇郡

・ 明治12年の郡の分割による。安曇郡の南部のこと。【出典】

・ 南安曇(みなみあずみ): 旧長野県南安曇郡。長野県の中部に位置する。1879年(明治12年)に、安曇郡を南・北に分割して成立。2005年(平成17年)に、穂高町、豊科町と三郷村、堀金村が東筑摩郡明科町と合併して安曇野市へ。【出典】

■ 安曇野市(あずみのし): 長野県安曇野市

・ 長野県の中西部。松本盆地の中央部を中心とする。2005年(平成17年)に、南安曇郡豊科町、穂高町と三郷村、堀金村および東筑摩郡明科町が合併して、安曇野市へ。梓川と奈良井川が合流して犀川になり、さらに高瀬川を合流する付近に位置する。市名は古くからの地域名の安曇野に由来する。【出典】

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