「江戸前島」の地名の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu  
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 江戸前島とは、家康の入国以前の、もともと(江戸」だったところ。しかし、江戸時代に成立した文献や史料には、この地名はほとんど登場しない。江戸前島の地名が最初に確認された史料は、現在のところ弘長元年(1261年)の「関興寺文書(新潟県南魚沼市)」に、「武蔵国豊島郡江戸郷之内前島村」という地名で登場する。時期は第一次蒙古来襲のあった「文永の役」の約10年前のもの。【出典】  

■ 江戸前島: この場所を、現代の地形学では「日本橋台地」という。山の手台地の一つである本郷台の先端が、海進期の荒波に削られて低く平らになった場所で、そのため「日本橋波食台地」ともいう。そして、この台地の先端は、「汽笛一声」の新橋駅があった旧汐留駅の構内で確認された。【出典

・ 前島は円覚寺の「いちば」だった: この江戸前島の範囲を現在の地名でいえば、西側は千代田区の大手町・丸の内・有楽町・内幸町。東側は中央区の日本橋・京橋・銀座の範囲の半島だった。【出典

・ 円覚寺に限らず大きな寺社の荘園は、農地の場合は少なくて、生産物の流通に便利な場所にあるのが普通だった。中世には、流通確保のために弱肉強食の武家社会を超越した、「いちば」としての寺社の荘園が必要だった。【出典

・ 徳川が、関東の中心的なこの荘園を自領に抱え込み、それをかくすために記録を徹底的に抹殺したのは、豊臣秀吉に無断で江戸前島を横領したからである。【出典

統計表示