| 「明日香と飛鳥」の地名の由来 | |
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■ 飛鳥と明日香
現在、飛鳥は明日香よりも広い地域を示す?が、古くは同じ地域を表す呼び名だった。
大和朝廷の公文書では飛鳥の表現が使われていたが、一般的には明日香の表現が使われていた。それは、この辺を明日香川が流れ馴染みがあったから。ところが、渡来人がこの辺に飛鳥坐(あすかにいます)神社を建てた。彼らは朝廷の記録係だったので、公文書にも馴染みのある飛鳥を用いた。
「あすか」は「すか」に「あ」という接頭語をつけたもので、「すか」とは、「すがすがしい」という意味。
他説としては、 「あすか」は地形に基づく地名で、「川州」がある場所をあらわす「州処(すか)」の前に接頭語の「あ」をつけたものと言われる。 東漢氏が「州処」という地名をもとに「飛鳥」名付けた。
・ 飛鳥(あすか): 奈良県高市郡明日香村飛鳥。飛鳥期から見える広域地名。阿須箇・明日香・阿須可・安須可・阿須迦などとも書く。特に明日香と書く例が多い。【出典】
・ 明日香(あすか): 奈良県高市郡明日香村。阿須箇・阿須可・安須可・阿須迦などとも書く。語源については、賀茂真淵・伴信友らの鳥名※(いすか)に由来し、この鳥が多く群生したことによるという説、ア(接頭語)スカ(住処)で集落を意味するという説、アス(崩地)カ(処)説、朝鮮系渡来者の安住地(安宿)説、ア(接頭語)スカ(洲処)説などがある。【出典】
・ 飛鳥は、「あんすく(安住の地)」という百済の言葉に由来し、渡来人の集落に由来するとも言われる。
・ 羽曳野市教育委員会編纂の「歴史の散歩道」によると、「河内飛鳥」は「雄略天皇の頃に、百済から混伎(こんき)王が渡来し、天皇から飛鳥戸造(あすかべのみやっこ)の氏姓を賜り、この地を本拠地とした。」
・ 昔は、河内の飛鳥を「近つ飛鳥」、大和の飛鳥を「遠つ飛鳥」といった。
・ 飛鳥は「あ(美称的接頭語)」+「すか(州処)」に由来する。また「あす(崩壊地形)」+「か(処)」などの説がある。【出典】
・ 古代の飛鳥は、奈良盆地の平野部の南端にあった。「あすか」は、自然の地形にもとづく地名で、川洲がある地をあらわす「すか(洲処)」の語に、「あ」という接頭語をつけた。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】
・ 5世紀末に東漢(やまとのあや)氏が朝鮮半島南端からこの地に渡来した。
・ 明日香(あすか): 奈良県高市郡明日香村。近世の村名の飛鳥村による。アス(崩壊地形)・カ(接尾語)という地名か。ア(接頭語)・スカ(砂地)とも考えられる。なお明日香の表記は、昭和31年に合併の際に好字を改めたもの。【出典】
# 飛鳥(あすか): 川や海の「砂州」は「すか(洲処)」とも言い、「須賀」「菅」とも書いた。それに接頭語の「あ」をつけたのが「あすか(飛鳥)」。「ア」は「あらたかなる」という褒め言葉に通じる。【出典】
# 奈良県の明日香村は、古代風の用字では「飛鳥」が正しく、日本書紀では「飛鳥」で統一されている。しかし住民は、縁起の良い「明日香」を用いた。【出典】
# 飛鳥(あすか): 奈良県。現在は明日香村として名が残る。明日香の地名の由来には諸説有り、渡来人の安住の宿を意味する「安宿(あすか)」などの説が有名。なお、飛鳥(あすか)の呼び方は、「飛ぶ鳥の明日香」という枕詞に因むと言われる。【出典】
# 飛鳥(あすか): 「アスカ」は一般には「飛鳥」だが、行政上は「明日香村」である。「明日香」は単なる当て字であって、漢字そのものには意味はない。「アスカ」地名は、もともと「スカ」地名であって、川などの周辺の砂地を意味している。「須賀」「須加」「菅」などの漢字が当てられる。「飛鳥」というと、昔ここに鳥がいたのでは、という説もあるが、この地からみえる「三輪山を中心とした山容」に由来しているのは間違い無い。飛鳥から三輪山方面を見ると、真ん中に「三輪山」、向かって左に「龍王山」、右手に「巻向山」が並び、それがあたかも大きな鳥のように飛鳥に向かって飛んでくるように見える。「飛ぶ鳥の明日香」と詠まれた「飛ぶ鳥の」という枕詞に由来すると考えていい。【出典】
# 「アスカ」の語源。
■ 「飛鳥」とは、どのエリアを指すか
・ 飛鳥の地名は、奈良盆地の東南部に位置し、おおよそ現在の明日香村の飛鳥川流域一帯に、大和三山(耳成山、畝傍山、天香久山)のあたりを含めた地域を指す。古代から、渡来人が多く居住していたといい、飛鳥の地名の由来の一つに、「朝鮮半島からの渡来人が安らかに住むことができた土地を、『安宿(あすか)』と称したことによる」という説がある。【出典】
■ 飛鳥に多くの宮が置かれた理由【出典】
・ 飛鳥の地に、長年にわたって、多くの宮が転々と置かれた理由
� )姫匸紊陵�点: 大和三山や飛鳥川の存在。また、風水上、地形的にも吉とされる。
�◆〜媛羯瓩留洞繊А〜媛羯瓩蓮∋畛�である飛鳥寺などが立つ飛鳥が、拠点であり、そこに宮を造らせた。
�� 交通の要所であった: 飛鳥は、奈良盆地を南北に通る、上ツ道、中ツ道、下ツ道といった古代における3つの大道に近いうえに、盆地を東西に走る横大路にも近く、大陸への玄関口だった難波へも便利だった。
■ 飛鳥宮の全貌【出典】
・ 飛鳥宮跡は、6世紀末から7世紀後半までの宮殿遺構とされる。
� _�本宮: 630?636年。舒明天皇の宮。岡本宮から田中宮へ。
�◆“蝶元棔А。僑苅�?645年、655年。皇極天皇の宮。
�� 後岡本宮: 656?660年。
�ぁ“�鳥浄御原宮: 672?694年。
■ 藤原京: 壬申の乱で勝利した大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)は、飛鳥に戻って、新たに統治を始めた。天武天皇は、反対が多かった近江京への遷都を中止し、宮を飛鳥に戻すことで、人心の収攬をはかった。「日本書紀」によると、飛鳥に戻った天武天皇は、岡本宮の南に新たに宮を造営して、浄御原宮(きよみはらのみや)と名付けた。【出典】