| 「喜連」の地名の由来 | |
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■ 喜連(きれ): 大阪府大阪市平野区喜連
・ 地名は伎人を示す久礼の転訛という。当地は摂津と河内の境にあり、河内に属したこともあったものと思われる。【出典】
・ 古代の「伎人郷(くれのごう)」に由来する。「伎人」とは古代朝鮮の高句麗からの渡来人を意味した。また、渡来人たちは「伎楽(ぎがく)」にも優れて、そこから伎人と言われた。その「くれ」が訛って「きれ」となり、「喜連」の字があてられた。【阪急沿線 謎解き散歩 新人物文庫】
・ 喜連: 鎌倉時代から摂津国欠(かけ)郡にみられる地名。
・ 伎人郷(くれのごう): 奈良時代から平安時代にかけて摂津国住吉郡にみられた郷名。伎人は呉人のことで、伎人を久礼と訓むのは、本朝に帰化した呉人の才伎を以ってこのように称せられたといい、伎楽に巧みなために伎人と書いたものと考えられる。呉氏が当郷に在住していたと考えられる。「古事記伝」によれば、久礼を訛り喜連となったといわれる。当郷は現在の大阪市平野区喜連および東住吉区喜連北通付近一帯に比定される。【出典】
・ 喜連瓜破(きれうりわり): 地下鉄谷町線に「喜連瓜破駅」があるが、駅ができたのは昭和55年(1980年)だが、当初は「喜連駅」にしようとしたら、隣り合わせの「瓜破」から反対運動がおきた。結局、「吉連」と「瓜破」の二つの町名をつなげた駅名ができた。「吉連」は古代の「伎人(くれびと)」が転訛したものと見られる。五世紀の初め頃、中国から集団移住した人たちのことである。木工・工芸に秀でていたという。一方の「瓜破」も古い歴史を誇っている。大化年間のこと、道昭という僧が三密教法という修行をしていたところ、ピカリと光って仏像が落ちてきたという。道昭はありがたく受け取ったが、供え物がないので、手元にあった瓜を供えたのだが、その瓜はぱっと割れてしまったという。【出典】