「神指」の地名の由来
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■ 神指(こうざし): 福島県会津若松市神指町

・ 神指城(こうざしじょう): 城址は会津若松市神指町に所在。会津の領主120万石の上杉景勝により築城が進められた。景勝は豊臣秀吉の五大老の1人で、豊臣側に参加し慶長3年秀吉の死後は徳川家康と対立する立場となり同4年には会津に帰り領内の防備につとめるに至る。前領主の蒲生氏郷が築城した若松城は平山城で小さく防備に不便であったところから若松城の北西方3Kmの神指村に新城の築城を開始したのが本城。景勝は家臣の直江山城守兼続を総奉行に命じ、会津4郡・仙道・長井・刈田・越後・佐渡・荘内など領内より徴した役夫12万人といわれる大工事に着手した。本丸の東西約1町40間・南北2町50間、二の丸の東西4町20間・南北4町50間、本丸の塁の幅10間・高さ6間、四方に幅23間の濠を、また、二の丸にも塁の幅15間・高さ3間、四方には幅20間の濠をめぐらしているもので、西方には大川が流れている。慶長5年2月には縄張りを開始し昼夜兼行で工事が進められ6月初旬までには本丸と二の丸を大体完成するに至った。しかし、9月15日の関ケ原の戦で家康の勝利に帰したため城は完成するに至らぬまま慶長6年7月景勝は西上し家康にくだり、8月会津120万石をけづられ、米沢30万石に移るに及び神指城は廃城となった。現在は本丸の一部の土塁、濠および二の丸の四隅の土塁のみが残る。【出典】  

■ 神指村(こうざしむら): 福島県

・ 江戸時代から昭和29年まで、福島県会津地方にあった村名。現在の、福島県会津若松市神指町。かつては香指・神差とも書いた。会津地方中部、阿賀川(大川)の東方に位置する。会津郡のうち。会津藩領。高久組に属す。村高は、文禄3年の蒲生高目録では1,182石余、文化15年の村日記では1,289石余、「天保郷帳」1,368石余。地名は、昔源融に仕えた秦氏が当地に来住しようとして山王権現に祈ったところ、夢に現われた老人の指示に従って行くと林中に香樹があり、そこで一村を開いたためと伝える。【出典】    

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