| 臣籍降下 | |
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■ 臣籍降下(しんせきこうか)
・ 天皇の子・孫・曾孫など、皇位を継承しなかった皇族が、皇族から離れて臣下となった。これがないと、皇族が増えていく。
・ 源氏や平氏は臣籍降下の名字(姓)だが、明治以降も臣籍降下はみられ、12家が誕生している。粟田、上野、宇治、音羽、鹿島、華頂(かちょう)、葛城、清棲(きよす)、小松、筑波、竜田、二荒(ふたら)。同様に、戦後も山階家など11家が臣籍降下している。
・ 律令下では六世以降は王号を与えないとされ、朝臣の上位に位置する「真人(まひと)」の姓を与えて臣籍降下させた。平安時代には朝臣に統一し、源姓や平姓を与えた。【令和日本史記 126代の天皇と日本人の歩み 八幡和郎 ワニブックス】
・ 賜姓皇族(しせいこうぞく)も同じような意味かな。
# 宮家(旧皇族): 明治時代以降、臣籍降下した旧皇族。賜姓皇族。【出典】
・ 明治時代〜戦前: 粟田家、上野家、宇治家、音羽家、鹿島家、華頂(かちょう)家、葛城家、清棲家、小松家、竜田家、筑波家、二荒家。
・ 戦後以降: 朝香家、賀陽家、閑院家、北白川家、久邇家、竹田家、梨本家、東久邇家、東伏見家、伏見家、山階(やましな)家。
■ 臣籍降下
・ 古事記や日本書紀および新撰姓氏録によると、大和時代に成立した皇景氏族に氏名は以下。
息長(おきなが)、山道「やまじ)、坂田、八多(はった)、三国、守山、大原、香山、登美(とみ)、蜷淵(になぶち)、三島、淡海、高階、春日、当麻、豊野、酒人(さかひと)、多治、為名(いな)、高額(たかぬか)、文室(ぶんや)。
これらの氏に与えられた姓は、圧倒的に「真人」が多い。
・ これに対して、臣系諸氏は、大和朝廷内では大きな力を持ち、この大臣・臣・君などという姓名をもった臣系諸氏には、蘇我、葛城、巨勢、阿倍、宇治などがあり、いずれも大和国内の地名に由来する。
・ 連系諸氏: 臣系諸氏と対応した関係にあった。大連、連などで、物部、大伴、中臣、忌部などの諸氏があった。連系諸氏は、天皇家に直接従属して、それぞれの職能を分担して天皇家に仕えた。その連系諸氏の麾下にあって、さらに職能を細分化して分担したのが、弓削、犬養、馬飼、鵜甘、舂米、膳、服部、衣縫、錦織、玉作、秦、東漢、西漢、久米などの伴造系諸氏である。【出典】
# 臣籍降下で天皇から貰った主な姓
・ 安倍(あべ)
・ 多治比(たじひ)
・ 清原(きよはら)
・ 在原(ありわら)
・ 平(たいら)
・ 橘(たちばな)
・ 高階(たかしな)
・ 藤原(ふじわら)
・ 源(みなもと)
■ 近代の臣籍降下(賜姓皇族)
・ 朝香(あさか)
・ 音羽(おとわ)
・ 閑院(かんいん)
・ 清棲(きよす)
・ 久邇(くに)
・ 高階(たかしな)
・ 二荒(ふたら)
■ 臣籍降下
・ 奈良時代の天皇の大半は天武天皇の系統だった。神護景雲四年(770年)八月四日、天武天皇系の称徳天皇(女帝)が崩御したため、天武天皇の系統が途切れてしまった。しかし、その後天智天皇の末子の施基(しきの)皇子の子で、それまで大納言だった白壁王が、第四十九代の光仁天応として擁立された。十代ぶりの天智系の天皇の誕生だった。【出典】
■ 臣籍降下からの脱却
・ その後、臣籍降下は一時ストップした。皇室の財政状態の改善が理由ではなく、そのほかに別の方法があみだされたからである。それは、皇族を大寺院の門跡に任じて送り出すという手法である。こうして三条源氏が誕生してから約半世紀は臣籍降下はなかった。【出典】