名字と地名の由来&歴史 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
※ 「名字の由来」を勉強すると「地名と歴史」に行き着く。「地名の由来」を勉強すると「日本古代語、朝鮮古代語、アイヌ語」に行き着く。「古代語」を勉強すると、結局「古代の歴史」に行き着く。ということで、三段論法で、今日から読み出したのが「逆説の日本史
井沢元彦 小学館」。
なぜ定説の日本史の本を選ばなかったのか?それは、単に「定説」は教科書のようでおもしろくないともいえるし、私があまのじゃくだからとも言える。
★ 古代とは、四世紀の大和朝廷の日本統一から、飛鳥、奈良、平安時代までを言う。
★ ワンポイント
# 青森県の三内丸山遺跡: 定住しないと思われていた縄文人が定住していたということを示している。
# 伊勢神宮はどうして20年毎に建て直されるのか?それは掘っ建てだから。掘っ建て小屋、イメージ良くないが、これは地中に柱を直接突き刺す古代の工法で長持ちしない。法隆寺は、礎石の上に柱を突き刺す方式なので長持ちする。
# 上杉謙信は毘沙門天の他に、飯綱権現(いづなごんげん)の信者であった。それは謙信の兜の前立てが飯綱権現の像なのでもわかる。飯綱権現は深く信仰すれば超能力(妖術)が得られるが、その超能力を得るためには、女色を絶たなければならない。
# 「役」: 〜の役の「役」とは国外との戦いを指す。たとえば秀吉の朝鮮の「文禄の役」「慶長の役」のように。その理屈でいえば、「前九年の役」「後三年の役」は蝦夷を国内とは思っていなかった証。
# 蝦夷(えみし)
# 鎌倉時代に地名に由来する名字が増えた原因のひとつに、分割相続制度がある。
# 「守」と「介」: たとえば「越前守(かみ)」の「守」は長官。「上総の介」の「介」は次官の意味。
# 旧石器時代と縄文時代の違い
・ 旧石器時代は打製石器の時代。縄文時代は磨製(ませい)石器の時代。
# 国分寺は、東大寺大仏殿の支店のようなもの。
# 古代、纏向王朝を作った崇神天皇に始まる日本に対抗するのが、新羅を追われてきた一族で、その復讐のために、新羅に攻め込んだ。その後、雄略天皇までつづいたか、天武天から纏向王朝へ交代。← という説もあるようだ。
※ 一族って天日槍(アメノヒボコ)一族?天日槍を祖とする新羅の「ホムタギ」の一族の「ホムタ」(誉田)は執拗に新羅を攻めたって話もあるな。
# 墾田永年私財法: 奈良時代に、藤原氏は「墾田永年私財法」を作った。もともと、日本の土地は公地だったが、この法律により、開拓した農地は開拓者(有力者)の私有地になった。
# 縄文時代末期には米の生産(陸稲)が行われていた。ベトナム語では稲のことをイネップという。
# 推古天皇は敏達天皇のお后だが、2人は異母兄妹。推古天皇には子供もいた?
# 総社: 群馬県や岡山県には今もこの地名が残る。これは、国府の役人が国中の神社を全部まわるのは大変だから、各々の神社の分霊をしつ1箇所に纏めた。元々は各国に一つあった。
# 朝鮮半島の三国時代
・ 新羅(シンラ)
356年〜935年にかけて、朝鮮半島の東南部にあった国で、7世紀の中頃に朝鮮半島をほぼ統一した。
・ 百済(クダラ)
346年〜660年にかけて、朝鮮半島南西部にあった国で、新羅を後押しした唐に滅ぼされ、新羅に併合された。
・ 高句麗(コウクリ・コマ)
紀元前37年〜668年にかけて、朝鮮半島北部から中国の東北部にあった国で、新羅を後押しした唐に滅ぼされ、新羅に併合された。
# 「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほくに)」=後の日本は、大国主命が治める国であったが高天原(たかまがはら)の最高神の天照大神は自分の孫のニニギノミコト(天皇の先祖)にこの国を与えたいと思った。
# 日本書記によると継体天皇21年(527年)6月に、新羅に占領された任那を復興させるために、近江臣毛野に6万の兵をつけて出兵。しかし、磐井が新羅と手を組んで、毛野の渡海を阻止した。
# 日本の神社の多くは、神として崇め奉って祀っているのではなく、霊を鎮めるため。出雲大社も太宰府天満宮も同じ。
# 日本は中世以降明治まで神仏習合の国だったので、「お寺も神社も一つ」だった。かつては、大寺の境内にはその仏が「神」と化した姿を祀る神社があり、大きな神社には逆にその神の本体(本地)である仏を祀る寺があった。特に、神社の境内にあった「仏」を祀る寺は「神宮寺」と呼ばれ、これは明治以前は国分寺と共に全国各地にあった。
ところが、明治政府は仏教と神道を強制的に分離したため、神宮寺のほとんどは破却され、わずかに残ったものは「仏教専用」になった。
全国で唯一、若狭国に残る神宮寺だけは、かつても「神と仏を同じところに祀る」という古い形態を残している。
# 日本初の神主: 第十代崇神天皇の時代に、出雲神大物主神(おおものぬしかみ)を祀るためにヤマトに招き寄せた太田田根子(おおたたねこ)が歴史上初の神主と言われ、大神神社の三輪氏の祖。
# 年貢と地租
・ 年貢は見込まれる収穫量に対して課税。
・ 地租は土地に対して課税なので、収穫量が少ないと不公平感がでる。
# 伏見稲荷は神道系のお稲荷さん、豊川稲荷は仏教系のお稲荷さん。
# 邪馬台国の読み: 邪馬台国を今の日本の読み方で、「ヤマタイコク」と読んでいいのか?邪馬台国は中国の歴史書の魏志倭人伝に出てくるので、当時の当時の中国の読み方で邪馬台国を読むと「ヤマド国」と読む。ヤマトの語源か?
# 弥生人: 縄文人と渡来人が融合して稲作を始めることにより弥生人が生まれたとされる。
# 倭: 古代、大陸では日本のことを倭(わ)と呼んでいた。その語源には諸説在るが、大陸の人が倭人に「どこから来たのか?」と尋ねたのに対して、倭人は言葉が通じなくて、「我(わ−)」と言ったのを取り違えたという話もある。
日 本 | 中 国 | 朝 鮮 | |
旧石器時代 | ・ 明石人(兵庫県)・牛川人(愛知県)・三ヶ日人(静岡県)などが出現。 ・ 打製石器を使用: 握槌(にぎりつち)、石刃(せきじん)、尖頭器(せんとうき)、細石器(さいせっき)。 ・ 岩陰や洞窟に住む。 ・ 岩宿時代: 今から3万年前の縄文時代の前にあった先土器時代のことで、群馬県みどり市笠懸町岩宿の関東ローム層から黒曜石の石器が発見された。岩宿時代は石器はあったが、土器はない。 |
||
BC10000年 | ・ 日本列島がほぼ現在の形になる | ||
縄文時代 | ・ 人口の増加、竪穴住居の発達 ・ 縄文土器、磨製石器、骨角器の利用 ・ 弓矢の使用。 ・ 屈葬(くっそう)、土偶(どぐう)、抜歯(ばっし)の風習。 ・ 原始農耕の発生 |
BC11世紀: 殷が滅び周が建国 | |
BC3世紀: 弥生文化が成立。各地に環濠集落が出現 | |||
BC2世紀: 吉野ケ里(日本最大の環濠集落)が栄える | |||
一世紀 | AD57年: 倭奴国王が後漢に朝貢、金印(漢委奴王国印)を受ける。 | AD25年: 後漢が建国 | AD37年: 高句麗が建国(〜668年) |
二世紀 | 107年: 倭国王師升ら後漢に朝貢 158年: 紀元後第1回目の皆既日食。この頃、倭国大乱 |
||
三世紀 | 239年: 卑弥呼、魏へ使者を送り親魏倭王の称号と金印および銅鏡100枚を受け取る 247年: 邪馬台国、狗奴国と交戦。魏、邪馬台国を支援のため張政を派遣 248年: 紀元後第2回目の皆既日食。卑弥呼死す。 |
220年: 魏が建国(三国時代のスタート) 265年: 西晋が魏を滅ぼす(三国時代終わる) 280年: 晋が三国を統一。 |
|
四世紀 | (この間、邪馬台国が九州から大和へ移動か?) 3世紀〜5世紀: 国譲りの後、大国主命の霊が出雲大社に封じ込められる。崇神天皇が疫病を流行させた大国主命の霊を子孫に祀らせる。 391年: 倭国が渡海して百済・新羅に侵攻。 |
317年: 東晋建国(五胡十六国との対立が始まる) | 346年: 百済が建国(〜663年) 356年: 新羅が建国(〜935年) 399年: 高句麗広開土王、朝鮮半島に侵入した倭(日本)軍を撃退 |
五世紀 | 400年頃: 河内平野に巨大な古墳ができた 421年(425年?): 倭王讃(仁徳天皇?)宋に朝貢 471年: 埼玉県稲荷山古墳の鉄剣(ワカタケル大王=雄略天皇の名あり)が作られる |
420年: 宋が建国。 | |
六世紀 | 538年: 仏教伝来 592年: 蘇我馬子が崇峻天皇を殺す。聖徳太子がノイローゼで伊予に渡る?日本初の推古天皇が即位。 |
589年: 隋が第一次高句麗遠征(第二次612年、第三次614年) | |
七世紀 | 600年頃: 聖徳太子が中央政界に復帰。 607年: 聖徳太子が隋に国書(日出ずる処の天子)を出す。 622年: 聖徳太子死す。 645年: 大化の改新(中大兄皇子【後の天智天皇】が蘇我入鹿を討ち、蘇我一族を滅ぼす。 663年: 白村江の戦いで倭国敗退。倭国・百済(義勇軍)連合軍が唐・新羅連合軍に敗れる。 667年: 近江国大津に遷都 670年: 初めての戸籍ができる。庚午年籍(こうごねんじゃく)。 671年: 天智天皇が大海人皇子(後の天武天皇)に暗殺される? 672年: 壬申の乱。大海人皇子が後遺(天武天皇)につく。 ※ この間、唐と断交し新羅と友好関係が深まる。 686年: 天武天皇死す。大津皇子、持統天皇に殺される。近江三井寺(園城寺)建立。 697年: 持統天皇、文武天皇に譲位して初の上皇となる。 |
618年: 隋が滅び、唐が建国。 690年: 唐が滅びる。 |
611〜614年: 高句麗、隋を撃退する。 668年: 高句麗が滅ぶ。 676年: 新羅が朝鮮半島を統一。 698年: 渤海が建国。 |
八世紀 | 707年: 文武天皇死す(25才) 710年: 平城京に遷都 720年: 日本書紀なる 729年: 藤原四兄弟の陰謀により、長屋王一族滅亡 737年: 天然痘により藤原四兄弟全滅 741年: 国分寺、国分尼寺建立の詔 743年: 大仏建立の詔 749年: 考兼女帝即位 752年: 大仏開眼供養 766年: 道鏡が法王になる。 769年: 宇佐八万神託事件。 770年: 道鏡が失脚。 784年: 長岡遷都の詔。 792年: 辺境の地を除き諸国の兵士を廃止(軍備撤廃)し、健児を置く。 794年: 平安遷都。 797年: 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任ずる。 |
705年: 唐が復興。 755年: 安禄山の乱。 |
|
九世紀 | 802年: 蝦夷のアテルイら降伏。 806年: 桓武天皇死去。 894年: 遣唐使を廃止。 |
892年: 後百済が建国。 | |
十世紀 | 905年: 古今和歌集。 | 907年: 唐が滅び、後梁が建国(五代十国時代が始まる) 916年: 遼(契丹)が建国される。 |
918年: 高麗が建国(新羅・後百済・高麗の後三国時代の始まり) 926年: 渤海が滅びる。 935年: 新羅が滅びる。 936年: 後百済が滅びる。高麗による朝鮮統一。 |
★ 参考年表 その2(日本の歴史がわかる本 他)
代 | 名 | 年代 | ||
★ 参考資料 隠された系図 喜多暢之著
歴代 | 漢風諡号 | 日本書紀名称 | 読み | 備考 | 地名入 | 筆者注 | 実名 |
1 |
神日本磐余彦尊 | かむやまといわれひこ | 磐余 |
||||
2 | 綏靖 | 神渟名川耳尊 | かむぬなかわみみ | 欠史八代 | 渟名川 | ||
3 | 安寧 | 磯城津彦玉手看尊 | しきつひこたまてみ | 欠史八代 | 磯城 | ||
4 | 懿徳 | 大日本彦耜友尊 | おおやまとひこすきとものみこと | 欠史八代 | 田を鋤く | ||
5 | 孝昭 | 観松彦香殖稲尊 | みまつひこかえしねのみこと | 欠史八代 | 観松 | 稲を植える | |
6 | 孝安 | 日本足彦国押人尊 | やまとたらしひこくにおしひとのみこと | 欠史八代 | たりしひこ | ||
7 | 孝霊 | 大日本根子彦太瓊尊 | おおやまとねこひこふとにのみこと | 欠史八代 | 根子 | ||
8 | 孝元 | 大日本根子彦国牽尊 | おおやまとねこひこくにくるのみこと | 欠史八代 | 根子 | ||
9 | 開化 | 稚日本根子彦大日日尊 | わかやまとねこひこおおびびのみこと | 欠史八代 | 根子 | ||
10 | 崇神 | 御間城入彦五十瓊殖天皇 | みまきいりびこいにえのすめらのみこと | 御間城 | イニエ | ||
11 | 垂仁 | 活目入彦五十狭茅尊 | いくめいりびこいさちのみこと | イサチ | |||
12 | 景行 | 大足彦忍代別天皇 | おおたらしひこおしろわけのすめらみこと | 忍代 | たりしひこ | ||
13 | 成務 | 稚足彦尊 | わかたらしひこのみこと | たりしひこ | |||
14 | 仲哀 | 足仲彦天皇 | たらしなかつひこのすめらみこと | たりしひこ | |||
15 | 応神 | 誉田別尊 | ほむたわけのみこと | たりしひこ | |||
16 | 仁徳 | 大鷦鷯天皇 | おほさざきのすめらみこと | ||||
# 神武天皇と第十代の崇神天皇の名前は同じで、「はつくにしらすすめらみこと」。「すめらみこと」は天皇で、「初めて国を統治したで」の意味。
■