「中坊」の名字の由来
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■ 中坊(なかのぼう) 

【2022/11/19:改編】

# 大和国国人菅原永珍(柳生家の祖)の弟が笠置寺の衆徒となった中坊氏を称したのが祖というが、寛政譜によると、藤原南家で秀清が大和国吉野郡奈良に住んで奈良氏を称して代々十五村を領し、秀清二十三代の末裔の秀定が足利義尚に仕えたという。興福寺衆徒の出で、戦国時代には秀祐は筒井順慶に従い、中坊氏に改称した。1585年の筒井氏の伊賀移封では秀祐は筒井氏に従って伊賀国に転じて家老になったが、1608年に主君の筒井定次を幕府に訴えて筒井家改易になり、秀祐は直参になった。【出典

# 旗本の中坊氏は藤原南家の出で、もとは奈良氏を称した。興福寺衆徒の出で、戦国時代筒井氏に従い、中坊氏と改称した。1585年に筒井氏に従って、伊賀国に転じたが、1602年に秀祐のときに徳川家康に仕えて直参となった。1613年に秀政が初代の奈良奉行に登用され、3500石を領した。のちに4000石に加増された。【出典】 

# 奈良県の中坊家: 旗本国人末裔。【出典

# 「中」のつく名字。 

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