「野上」の名字の由来
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■ 野上(のがみ) 

【2026/03/04:改編】

# 代表家紋

# 沖縄県を除いて全国に広く見られる。【出典

# 沖縄県を除いて全国に広く見られる。大分県、岡山県、富山県などに多く見られる。とくに、大分県豊後高田市にまとまって見られ、旧真玉町では二位。その他では、富山市にも多く見られる。【出典

# 富山県の野上家

# 古代豪族の野上氏は河内国丹比郡野上郷(大阪府羽曳野市)をルーツとする。孝昭天皇の子孫という。【出典

# 古代豪族の野上氏は、河内国丹比郡野上郷(大阪府羽曳野市野々上)をルーツとする。渡来系氏族。【出典

# 常陸国の野上氏は久慈郡野上(茨城県常陸大宮市)をルーツとする。【出典

# 紀伊国の野上氏は那賀郡野上荘(和歌山県海草郡紀美野町)をルーツとする。桓武平氏の三浦氏族。【出典

# 豊後の野上氏は豊後国飯田郡野上(大分県)をルーツとする。豊後清原氏の出。南北朝時代には南朝に属して大友氏と争った。室町時代には大友氏に従った。1586年に島津氏に敗れて落城した。【出典

# 豊後国玖珠郡国衆。豊後国の清原氏庶流。名字の由来の地は、玖珠郡飯田郷野上(大分県玖珠郡九重町野上)。南北朝時代には南朝に属して、大友氏と戦ったが、室町時代には大友氏に従った。戦国時代には野上城に拠った。天正14年(1586年)に島津義弘の豊後侵攻の際に、一族の内応があって落城した。【出典

# 豊後国の野上氏は玖珠郡飯田郷野上(大分県玖珠郡九重町)をルーツとする。豊後清原氏。南北朝時代には南朝に属して大友氏と争った。室町時代には大友氏に従った。天正14年(1586年)に島津氏に敗れて落城した。【出典

# 周防の野上氏は都濃郡野上荘(山口県徳山市・現周南市)をルーツとする。周防の守護代陶氏に仕えた。【出典

# 周防国の野上氏は都濃郡野上荘(山口県周南市)をルーツとする。室町時代から野上氏の名がみえる。周防国の守護代の陶氏に仕え、陶氏の滅亡とともに滅んだ。【出典

# 武蔵七党の丹党の野上氏は武蔵国秩父郡野上郷(埼玉県秩父郡長瀞町)をルーツとする。【出典

# 丹党の野上氏は武蔵国秩父郡野上郷(埼玉県秩父郡長瀞町)をルーツとする。【出典

# 現在は、全国に広く分布し、中国地方から九州北部にかけて多く見られる。【出典

# 「上」のつく名字

# 「野」のつく名字

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