| 武蔵七党 | |
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■ 名字の多くは武士の領地となった地名からおきていることを考えると、「武蔵七党」はおさえておかなければならないでしょうね。【「党」とは何か?】
■ 武蔵七党は武蔵野の開墾者で、鎌倉幕府の重要な構成員の中級武士。平安時代後期に京から下向した中流貴族の子孫で小領主の集団で連合体。彼らは11世紀半ばに小地名を名字としたとされています。
■ 小野氏: 横山党、猪俣党
・ 横山党、猪俣党は、小野篁(たかむら)の子孫。横山党は、小野孝泰の時に武蔵守となり、その子の義孝が武蔵権介となり、横山大夫と言って横山(東京都八王子市)を本拠地としたのに始まる。 猪俣党は、義孝の弟で武蔵介の時資を祖とし、その子の時範が猪俣(児玉郡美里町)を本拠地とし、猪俣野兵を称した。【武蔵武士 そのロマンと栄光 福島正義 さきたま出版会】
■ 平氏: 野与党、村山党
・ 野与党と村山党も同祖で、平良文の子孫の千葉胤宗の孫の基永が野与の庄司となって野与六郎を称し、その弟の頼任が村山(東京都東村山市)を本拠地とし、村山貫主を称したのを祖とする。 【武蔵武士 そのロマンと栄光 福島正義 さきたま出版会】
・ 村山党は入間郡を勢力下においた。村山党は高望王の五男の平良文の子孫で、村山貫主頼任を祖とする。高望王は初めて平氏を称し、上総介として坂東に下った。嫡子の国香は常陸大掾、良兼は下総介、良将は鎮守府将軍、良孫は上総介、良持は下総介、良文は武蔵守、良茂は常陸少掾。【武蔵武士 そのロマンと栄光 福島正義 さきたま出版会】
■ 日奉氏: 西党
■ 有道氏: 児玉党
・ 児玉党は、武蔵守だった有道惟行が児玉を本拠地とし、児玉氏を称した。【武蔵武士 そのロマンと栄光 福島正義 さきたま出版会】
■ 丹比(田治比)氏: 丹党
・ 丹党は宣化天皇の後胤で、彦武王の時に、丹治比古の姓を賜り、武信の時に武蔵国に流されて、秩父郡や賀美郡の開発領主となり、後に許されて京に戻った。その孫の峯時の時から武蔵国に土着した。【武蔵武士 そのロマンと栄光 福島正義 さきたま出版会】
・ 丹党は、鉱山技術者を抱える武士団。【地名でたどる埼玉県謎解き散歩 新人物文庫】
■ 私市党
・ 私市党 は、騎西(北埼玉郡騎西町)の皇后の御料地である私市部の管理をした。牟自の子孫の黒長から私市氏を称した。【武蔵武士 そのロマンと栄光 福島正義 さきたま出版会】
■ ワンポイント
・ 丹荘村(たんしょうむら): 埼玉県、現在の神川町北部。丹庄村とも書く。村名の由来は古くから当地域を丹荘と称していたことに由来する。八高線の丹荘駅にその名を残す。
・ 秩父牧の一つの阿久原(あぐはら)牧(児玉郡)では有道(ありみち)氏が別当(責任者)になり、勢力を拡大して児玉党を名乗った。阿久原牧は群馬県との境。
・ 丹治(たじひ)氏が秩父牧の一つの石田(いわた)牧の別当となり、勢力を拡大して丹党を名乗った。
・ 小野牧(八王子市)を中心に勢力を拡大した小野氏は横山党を名乗った。
・ 日奉(ひまつり)氏は由比牧・小川牧(多摩)を中心に勢力を拡大して西党を名乗った。
■ 横山党は57家、猪俣党は32家、野与党は23家、児玉党や丹党は70〜80家、村山党、西党は20家くらい。
・ 平安時代後期から室町時代にかけて、現在の関東地方西部で勢力を持った同族的武士集団で、七党は諸説あるが、以下が有名。
・ 「横山党」「児玉党」「猪俣党」「村山党」「野与党」「丹党」「西党」
・ ほとんどは、「武蔵守」「武蔵介」の子孫。
■ 横山党: 小野篁(たかむら)の子孫武蔵守孝泰
・ 武蔵国多摩郡横山庄(東京都八王子市付近)を中心に、埼玉県熊谷市、深谷市、神奈川県川崎市付近に勢力をもった。
・ 「海老名氏」「愛甲氏」「大串氏」「小俣氏」「成田氏」「本間氏」などで「海老名氏」が一番栄えた。
・ 猪俣党も同族。
# 敏達天皇の子の春日皇子の子の小野妹子の五代子孫の小野篁(たかむら)の七代子孫の孝泰の長男の義孝が武蔵国横山(東京都八王子市横山町)を領して横山氏を称した。 義孝の弟の時資の子の時範が武蔵国猪俣郷(埼玉県児玉郡美里町猪俣)を領して猪俣を称した。
# 横山党は小野姓で、武蔵守の小野孝秦の子の義孝が武蔵国多摩郡横山(東京都八王子市)に住んで横山氏を称した。横山党は相模国から上野国まで広く分布し、代々源氏に仕えた。多摩丘陵のことを、古くは「横山」と言ったことから、横山党の発祥地を特定することは難しいが、横山党の本拠地の屋敷跡は八王子市元横山町の八幡八雲神社といわれる。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 横山党から出た名字
# 小野(おの): 神奈川県厚木市小野をルーツとする。。小野村は江戸時代から明治時代中頃にかけて相模国愛甲郡にみられた村名。
# 糟屋(かすや): 東京都世田谷区粕谷?。糟屋荘(かすやのしょう):神奈川県伊勢原市上粕屋・ 神奈川県伊勢原市下糟屋。平安時代末期から室町時代にかけて相模国大住(おおすみ)郡にみられた荘園名。粕屋・粕谷とも書く。左大臣藤原冬嗣の孫にあたる元方が当荘の開発領主で、荘名をもって糟屋氏を名のり、以来その子孫が在地領主になった。【出典】
# 由木(ゆぎ、ゆき): 東京都多摩郡船木田荘由木郷(東京都八王子市) をルーツとする。
# 室伏(むろふし): 山梨県東山梨郡牧丘町室伏をルーツとする。
# 大串(おおぐし): 埼玉県比企郡吉見町大串をルーツとする。
# 千与野(ちよの): 埼玉県大里郡江南町千代をルーツとする。
# 伊平(いだいら): 静岡県引佐郡引佐町伊平をルーツとする。
# 藍原(あいはら): 東京都町田市相原町・神奈川県相模原市相原をルーツとする。
・ 平安末期、武蔵七党の1つ横山党は横山荘を中心に勢力を持ち、源為義に仕えたという横山孝兼の嫡男時重は粟飯原氏を名乗り、次男孝遠は藍原二郎大夫と称したという。【出典】
# 古郡(ふるこおり・ふるごおり): 埼玉県児玉郡美里町古郡をルーツとする。
# 小倉(おぐら、こくら): 神奈川県川崎市幸区小倉・神奈川県津久井郡城山町小倉をルーツとする。
# 野部(のべ): 東京都あきる野市野辺をルーツとする。
# 菅生(すがお): 東京都あきる野市菅生(すがお) をルーツとする。
# 平子(たいらこ): 武蔵国久良岐郡平子郷(神奈川県横浜市)をルーツとする。
# 田名: 神奈川県相模原市田名をルーツとする。
# 山崎(やまざき・やまさき): 東京都町田市山崎町をルーツとする。
# 石川(いしかわ): 神奈川県藤沢市石川をルーツとする。相模野台地の南東部、引地川中流域に位置する。
# 他: 野内、椚田(くぬぎだ)、平山、野平、鳴瀬、古市、田屋、八国府(やこう)、古庄、野巻など。
# 椚田(くぬぎだ): 東京都八王子市椚田町をルーツとする。
# 野内(のうち): 栃木県芳賀郡茂木町小井土(旧地名:野内)
# 平山(ひらやま): 東京都日野市平山をルーツとする。武蔵七党の1つ西党から出た平山氏居住の地とされている。【出典】
# 古市(ふるいち): 群馬県前橋市古市町をルーツとする。
# 野巻(のまき): 埼玉県秩父郡皆野町野巻をルーツとする。
【児玉党】
■ 児玉党: 古代豪族の有道氏の出。
・ 武蔵国児玉郡児玉郷(埼玉県本庄市児玉町)から上野国南部までの勢力を誇り、本庄市を本拠地とした。
・ 「児玉氏」「庄氏」「本庄氏」「塩谷氏」「小代氏」「四方田氏」「浅羽氏」「「桜井氏」「若児玉氏」など。
・ 武蔵七党中の最大勢力を誇った。
・ 小代(しょうだい)氏は児玉党で、小代郷(埼玉県東松山市)が本貫。小代重俊は宝治年間に肥後国野原荘(熊本県荒尾市)の地頭に。
# 藤原遠峯を祖とする。藤原遠峯の次男が武蔵国児玉郡(埼玉県児玉郡)を領して児玉氏を称した。
# 児玉党
・ 有道姓。有道維広が藤原道隆に仕え、孫の遠峯維行が武蔵国の国司になり、解任後もそのまま武蔵国児玉郡児玉(埼玉県本庄市児玉町児玉)に土着したのが祖。
・ 維行の子の家行系は武蔵国児玉郡、資行系は武蔵国入西郡、弘行の弟の経行系は武蔵国秩父郡から上野国西部に勢力をもった。
・ 中世に安芸国で栄え、戦国時代以降には毛利家の重臣となった児玉氏は経行系の末裔。子爵となった児玉源太郎も徳山藩士の出で、安芸の児玉氏の一族。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 児玉党から出た名字
# 入西: 埼玉県坂戸市をルーツとする。入西荘(にっさいのしょう)は、武蔵国入間郡にみられた荘園名で埼玉県越生町周辺。
# 浅羽: 埼玉県坂戸市浅羽をルーツとする。
# 小代(こしろ): 栃木県日光市小代。埼玉県坂戸市周辺。鎌倉時代から武蔵国入西郡にみられる地名。承元年間、小代氏の名がみえる。
# 越生(おごせ): 埼玉県入間郡越生町をルーツとする。
# 小見野(おみの): 埼玉県比企郡川島町上小見野・下小見野をルーツとする。
# 粟生田(あおうだ): 埼玉県坂戸市粟生田
# 山越(やまこし): 栃木県安蘇郡田沼町山越をルーツとする。
・ 栃木県佐野市山越町。中世に土豪山越氏が支配し、その子孫が津布久氏を名乗って、佐野氏に仕えていたという。【出典】
# 大河原(おおがわら): 埼玉県飯能市大河原をルーツとする。
# 黒岩(くろいわ): 埼玉県入間郡越生町黒岩をルーツとする。
# 岡崎(おかざき): 埼玉県入間郡越生町越生字岡崎をルーツとする。
# 塩谷(しおや): 埼玉県児玉郡児玉町塩谷をルーツとする。
# 富田(とみた): 埼玉県大里郡寄居町富田をルーツとする。
# 阿佐美(あさみ): 埼玉県児玉郡児玉町入浅見・下浅見をルーツとする。
# 蛭河・蛭川(ひるかわ): 埼玉県児玉郡児玉町蛭川をルーツとする。
# 小河原(こがわら): 栃木県那須郡南那須町小河原をルーツとする。
# 小中山(こなかやま): 東京都あきる野市小中野をルーツとする。
# 竹沢(たけざわ」): 埼玉県比企郡小川町の竹沢地区をルーツとする。
# 新屋(にいや): 群馬県前橋市粕川町新屋をルーツとする。
# 大類(おおるい): 埼玉県入間郡毛呂山町大類をルーツとする。
# 大浜(おおはま): 埼玉県秩父郡皆野町皆野字大浜をルーツとする。
# 倉賀野(くらがの): 群馬県高崎市倉賀野町をルーツとする。
# 白倉(しらくら): 群馬県甘楽郡甘楽町白倉をルーツとする。
# 他に、真下、吉島、矢島、多子、与島、秩父、稲島、島方、小幡、奥平、大渕など。
・ 島方(しまかた): 栃木県那須塩原市島方をルーツとする。地名は、島村と方京村の双方から1字ずつとって命名された。
・ 奥平(おくだいら): 群馬県高崎市吉井町奥平をルーツとする。
【猪俣党】
■ 猪俣党: 小野篁(たかむら)の子孫武蔵守孝泰の子武蔵介時資。
・ 武蔵国那珂郡(埼玉県児玉郡美里町)の猪俣館を中心に勢力を持った。
・ 「猪俣氏」「人見氏」「男衾氏」「甘糟氏」「岡部氏」「蓮沼氏」「横瀬氏」「小前田氏」「木部氏」など。
# 猪俣党
・ 猪俣党は小野姓で、武蔵守となった小野孝泰の孫の時範が武蔵国児玉郡猪俣(埼玉県児玉郡美里町猪俣)に住んだのが祖。一族は武蔵国の北西部の大里郡、比企郡、児玉郡に広がった。猪俣党の嫡流の末裔は江戸時代には加賀藩士。
・ 猪俣党の岡部氏の子孫は各地に広がり、嫡流は江戸時代には旗本。岡部家が青梅街道沿いに植えた杉並木が杉並区の地名の由来と伝えられる。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 猪俣党から出た名字
# 男衾(おぶすま): 埼玉県寄居町(旧男衾村)をルーツとする。
# 野部(のべ): 東京都あきる野市野辺をルーツとする。
# 尾園(おぞの): 武蔵国をルーツとする。
・ 小薗: 埼玉県寄居町。戦国時代に武蔵国男衾郡にあった地名。武蔵七党猪俣党の尾園氏の名字の地に比定される。【出典】
# 甘糟(あまかす): 武蔵国児玉郡甘糟(埼玉県児玉郡美里町甘粕)をルーツとする。
# 人見(ひとみ): 埼玉県深谷市人見をルーツとする。
# 荏原(えばら): 東京都品川区荏原をルーツとする。武蔵国荏原郡。
# 岡部(おかべ): 埼玉県大里郡岡部町をルーツとする。
# 藤田(ふじた): 埼玉県大里郡寄居町藤田をルーツとする。
# 蓮沼(はすぬま): 埼玉県比企郡吉見町蓮沼。埼玉県深谷市蓮沼。埼玉県さいたま市見沼区蓮沼。などの地名がある。
【村山党】
■ 村山党: 桓武平氏の平忠常の孫の基宗を祖とするが定説ではないようだ。
・ 武蔵国多摩郡村山郷(埼玉県の入間川付近)に勢力を持った。
# 平良文の子孫。平良文は桓武天皇の四代子孫で平将門の叔父。
・ 野与基永が祖で、弟の村山頼任が村山党の祖。
# 桓武平氏の一族で、武蔵国多摩郡村山郷(東京都東村山市)をルーツとし、平元宗の子の頼任が村山氏を称したのが祖。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 村山党からでた名字
# 金子(かねこ): 埼玉県入間市金子中央?をルーツとする。武蔵七党のうち村山党金子六郎家範の子の十郎家忠の住居地ともいう。全国に拡がり、全国の金子氏の祖は村山党の金子氏であるケースが多い。
# 仙波(せんば): 埼玉県川越市仙波町をルーツとする。
# 宮寺(みやでら): 埼玉県入間市宮寺をルーツとする。鎌倉期の加納下野守の城跡がある。
# 難波田: 戦国時代に武蔵国入東(にっとう)郡にみられた地名。埼玉県富士見市付近。難波田城があった。
【野与党】
■ 野与党: 桓武平氏の平忠常の孫の基宗を祖とするが定説ではないようだ。
・ 武蔵国埼玉郡(埼玉県加須市付近)の野与庄付近を中心に勢力を持った。
# 平良文の子孫。平良文は桓武天皇の四代子孫で平将門の叔父。
・ 野与基永が祖で、弟の村山頼任が村山党の祖。
・ 村山(武蔵国武蔵郷・東京都東村山市)
# 桓武平氏の出で、武蔵国埼玉郡野与をルーツとするというが、現在値は不明。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 野与党からでた名字
# 多名: 神奈川県相模原市田名をルーツとする。
# 鬼窪: 埼玉県南埼玉郡白岡町をルーツとする。
・ 鬼窪(おにくぼ): 埼玉県白岡市。南北朝時代から武蔵国埼西郡にみられた地名。正平年間、鬼窪弾正左衛門尉、鬼窪左近将監の名がみられ、鬼窪氏の出自は武蔵七党の1つである野与(のよ)党の一族と伝えられる。【出典】
# 萱間(かやま): 埼玉県南埼玉郡上栢間・下栢間をルーツとする。
# 高柳: 埼玉県熊谷市高柳などをルーツとする。
# 渋江(しぶえ): 埼玉県さいたま市岩槻区をルーツとする。
・ 渋江(しぶえ): 埼玉県さいたま市岩槻区?中川と綾瀬川が合流する低湿地帯に位置する。地名の由来は不明だが、立地条件・地形から付近の上平井(江)・小村井(おむらい)(江)・今井(江)などと同じ意味で海が入り込み入江となっていたことによるといわれる。また武蔵七党の野与党に属する岩槻渋江氏、千葉系図に見える渋江小太郎一族の所領があったことから地名が生まれたとの説もある。地元では「しぼえ」といっている。【出典】
# 多賀谷: 埼玉県北埼玉郡内田ヶ谷・外田ヶ谷をルーツとする。
# 八條: 埼玉県八潮市八條をルーツとする。
# 他に、道智、道後、笠原、南鬼窪、西脇、白岡、箕匂(みのわ)、大相模、戸田、須久毛(すくも)、金重、野島などがある。
# 笠原(かさはら): 埼玉県比企郡小川町笠原をルーツとする。
# 白岡(しらおか): 埼玉県白岡市をルーツとする。
# 大相模(おおさがみ): 埼玉県越谷市相模町をルーツとする。
# 須久毛(すくも): 須久毛郷(すくものごう): 埼玉県羽生市周辺?鎌倉時代に武蔵国埼玉郡にみられる郷名。当地は武蔵七党野与党の族の須久毛氏が居住した地と推定される。【出典】
# 金重(かなしげ): 埼玉県さいたま市岩槻区金重をルーツとする。
# 野島(のじま): 埼玉県越谷市野島。地名は川沿いの耕地の意ともいうが不詳。平安末期の武蔵七党のうち野与党に野島氏の名が見える。【出典】
■ 丹党: 古代豪族の丹比氏の末裔で、丹治(たんじ)氏を称し、代々武蔵守を相継。
・ 平安時代に関東に下った丹治氏の子孫。
・ 秩父から飯能にかけて勢力をもった。
・ 「丹氏」「加治氏」「勅使河原氏」「阿保(安保)氏」「大関氏」「中山氏」など。
# 丹党の先祖は二十八代宣化天皇。宣化天皇の子の上殖葉皇子の子の十市王の子の彦武王の子の島が臣籍降下し、その十代子孫の峯信が桑名を称し、その五代子孫の武平から丹党になった。
# 古代豪族の多治比(たじひ)氏の末裔。多治比氏は宣化天皇の皇子の上殖葉皇子(かみつうえはのみこ)の子孫で、文武天皇の時代には多治比嶋が左大臣となって、養老5年(721年)には池守が大納言となった。しかし、奈良時代には没落した。平安時代中期に子孫の丹治武信が武蔵国に流されたのを祖とする。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 丹党からでた名字
# 横脛: 埼玉県川口市をルーツとする。
# 横瀬: 埼玉県秩父郡横瀬村をルーツとする。
# 古郡(ふるごおり): 埼玉県児玉郡美里町古郡をルーツとする。
# 大河原(おおがわら): 埼玉県飯能市大河原をルーツとする。
# 塩屋(しおや): 埼玉県児玉郡塩谷をルーツとする。
# 小鹿野(おがの): 埼玉県秩父郡小鹿野町をルーツとする。
# 大窪(おおくぼ): 埼玉県富士見市東大久保をルーツとする。
# 薄(すすき): 埼玉県秩父郡両神村薄をルーツとする。丹党の薄氏は両神の薄をルーツとする。備前国に移住した後は須々木に変えた。【地名でたどる埼玉県謎解き散歩 新人物文庫】
# 秩父(ちちぶ): 埼玉県秩父市をルーツとする。
# 織原(おりはら): 埼玉県大里郡寄居町折原をルーツとする。
# 勅使河原(てしがわら): 埼玉県児玉郡上里町勅使河原をルーツとする。
# 榛沢(はんざわ): 埼玉県大里郡榛沢をルーツとする。
# 南荒居(みなみあらい): 埼玉県北本市荒居をルーツとする。
# 高麗: 埼玉県旧高麗郡をルーツとする。
# 小島(こじま、おじま): 埼玉県熊谷市小島をルーツとする。
# 長浜: 埼玉県児玉郡上里町長浜をルーツとする。
# 岩田(いわた): 埼玉県秩父郡長瀞町岩田をルーツとする。
# 井戸(いど): 埼玉県秩父郡長瀞町井戸
# 野上(のがみ): 埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷をルーツとする。
# 藤矢淵(ふじやぶち): 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞小字藤矢淵をルーツとする。
# 他に、竹淵、黒谷、岡田、栗毛、弥郡、秩父、堀口、青木、新里、由良、滝瀬、加治、白鳥、葉栗、判乃など。
・ 黒谷(くろや): 埼玉県秩父市黒谷をルーツとする。
・ 堀口(ほりぐち): 堀口村(ほりぐちむら)をルーツとする。江戸時代から明治初期にかけて武蔵国入間郡に見られた村名。現在の埼玉県所沢市大字上山口周辺。
・ 新里(にっさと): 埼玉県草加市新里町(にっさとちょう)をルーツとする。
・ 加治(かじ): 加治郷(かじごう)をルーツとする。埼玉県飯能市下加治。武蔵国高麗郡にみられた郷名。
・ 飯能(はんのう): 埼玉県飯能市をルーツとする。
【西党】
■ 西党: 武蔵守日奉(ひまつり)宗頼
・ 土着した武蔵国の国司の日奉宗頼(ひまつり・の・むねより)の子孫が西氏を称した。
・ 武蔵国西部、多摩川流域を勢力範囲とした。
・ 「平山氏」「由井氏」「立川氏」「小川氏」「田村氏」「中野氏」「稲毛氏」「川口氏」「上田氏」「犬目氏」「高橋氏」「小宮氏」「西宮氏」「田口氏」「駄所氏」「柚木氏」「長沼氏」など。
※ JR八高線の「児玉駅」は「児玉党」の、「丹荘」駅は「丹党」の本拠地。
# 参考地名: 日奉郷(ひまつりのごう): 平安時代に筑後国にみられた郷名。「和名抄」筑後国三毛郡四郷の1つ。「太宰管内志」「地名辞書」は、大化前代における日祀部の居住地に因むかとし、比定地未詳とする。「三池郡誌」「大牟田市史」「高田町誌」などでは現在の高田町一帯に比定しているが、根拠に乏しい。古代末期に三毛北郷・同南郷が成立したことにより消滅した。【出典】
・ 西党の小川氏の末裔は薩摩国の甑島の領主となった。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
■ 西党からでた名字
# 由木: 武蔵国多摩郡船木田荘由木郷(東京都八王子市)をルーツとする。
# 長沼(ながぬま): 東京都八王子市長沼町をルーツとする。
# 平山(ひらやま): 東京都日野市平山をルーツとする。
# 立川(たちかわ): 東京都立川市をルーツとする。
# 狛江(こまえ): 東京都狛江市をルーツとする。
【都筑党】
・ 武蔵国都筑郡(神奈川県横浜市都筑区)を本拠とし、綴党とも書いた。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
【私市党】
# 武蔵国埼玉郡太田荘の鷺宮社の氏人の出といい、家盛が武蔵権守になったのが祖。
・ 私市は古代に武蔵国に設置された皇妃のための私部だが、後に埼玉郡の西を意味する埼(騎)西と混同された。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
【参考データ】
■ 古代の東国(関東地方)は、中央からは「雛(ひな)」という位置づけられる辺境だった。
■ 武蔵国大里郡村岡(埼玉県熊谷市南部)を領した平良文の子の忠頼の第二子の長元の乱の首謀者の忠常。長子の将常は忠頼の跡をついで武蔵権守を称した。忠常は房総方面に領地を持ち、末裔が千葉氏や上総氏を称した。将常は武蔵国秩父郡中村郷(埼玉県秩父市)に拠点をおき、秩父氏の母胎となる。平将常の子の武基は秩父牧の別当となり、その子の武綱は秩父十郎を称し、前九年の役・後三年の役で源義家に従った。
平武綱から出たのが、畠山、稲毛、小山田、河越、江戸、児玉。武基は武蔵国の南東部に進出し、豊島氏や葛西氏がでた。
■ 12世紀には平良文流の平氏が、荒川流域に展開し秩父平氏として領地を拡げていった。また、平貞盛流の平氏は武蔵や房総や相模の南関東に、藤原北家秀郷流の藤原氏は常陸・下野・上野といった北関東に領地を拡げていった。
■ 保元の乱に名が見える武将: 豊島、河越、秩父、熊谷、横山、猪俣、村山、児玉など三十数名。
■ 13世紀には源平の合戦により、西国方面に地頭職を与えられた東国武士が勢力を伸ばした。
■ 14世紀には南北朝の動乱があった。この時代の特徴は「惣領制の解体」といわれる。なんだ、戦後の日本と同じじゃないか。惣領制が解体されると身内の争いが増えるのは、昔も今も変わらないようで、この時代においても武士団の流動化がおきた。
■ 武蔵国の武士団には「総領型」と「党型」があった。
・ 総領型: 平良文に始まる秩父の武士団が典型で、畠山・小山田・河越・江戸・豊島・葛西など。
・ 党型: いわゆる「武蔵七党」に代表される。
■ 天仁元年(1108年)、浅間山の大噴火があった。これにより、上野国から武蔵国北部の荒川以北が被災したと言われる。秩父氏の秩父地方も被災地で、そういった事情もあって秩父氏は秩父地方から勢力範囲を拡大したと言われる。
■ 岡部: 武蔵国大里郡岡部(埼玉県深谷市岡部町)をルーツとし、武蔵七党の猪俣党の庶流。
■ 武蔵七党の「党」の言葉は、12世紀の貴族の日記に初見される。また、武蔵七党という言葉があらわれるのは南北朝期である。
■ 室町時代の国語辞典である「節用集(せつようしゅう)」には、横山党(多摩郡)、猪俣党(那賀郡)、児玉党(児玉郡)、丹党(秩父郡・賀美郡)、西党(多西郡)、私市党(埼玉郡・大里郡)、村山党(多摩郷)。
■ 熊谷直実(なおざね): 永治元年(1141年)に武蔵国大里郡熊谷郷を本拠とした熊谷直貞の二男。熊谷氏は桓武平氏の出という節と武蔵七党の私市党か丹党の出という説がある。直実の母親は私市党の小沢氏の出といわれる。一ノ谷の合戦で平敦盛を討ち取ったが、後に所領没収後に出家したと言われる。
■ 武蔵武士の多くは鎌倉から府中を通り、上野国に抜ける鎌倉街道上道(かみつみち)周辺に分布していた。
■ 南北朝時代、武蔵国には三流の高麗(こま)氏がいた。�。契さ�に高句麗から渡来した高麗氏(大宮寺高麗氏)�∧仁品犬鯀弔箸垢�平姓の高麗氏�C絢�姓丹党の高麗氏。
■ 下総の相馬氏の領地は婚姻関係により、上野の岩松氏の領地になった。
■ 鎌倉時代は鎌倉を中心にすえて、東北地方は「東北」、北陸地方は「北国」であった。
■ 前九年の役や後三年の役の後に奥羽に領地を得たのは、石川氏(福島県石川町)、岩城氏(福島県いわき市)。
【参考サイト】
・ 武蔵七党の活躍【「農」と歴史】 【農林水産省関東農政局】
【参考資料】
・ 武蔵武士団 関幸彦 吉川弘文館
・ 武蔵武士 そのロマンと栄光 福島正義 さきたま出版会