「名字の謎」の読書
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■ 名字の謎 森岡浩 著 \714 新潮文庫 2002/03/10発行

 この本は、日本人の名字の誕生などに加え、外国の名字なども広範囲に扱っている。自分の名字のルーツを知りたい方にはお勧めの一冊である。

■ 知っておきたい日本の名字と家紋 武光誠 著 角川ソフィア文庫 2007/07/25発行

(1) 姓と名字は違う: 姓とは天皇がまだ大王(おおきみ)と言われていた大和時代に大王に従うものに与えられたのが姓。例えば、織田信長の姓は「」、名字は「織田」、名前は「信長」、通称は「上総介」、「織田上総介平信長」。

(2) 名字と苗字: 名字は本来武士の領地の地名だった。平安時代末期に関東の武士が初めて名字を名乗ったが、その名字は自分の領地の地名で、武士が治める集落を「」や「名田」と呼ばれたことによる。従って、この時代に名字を持っていたのは領地を持つ、いわゆる高級武士のみであった。江戸時代になると、「苗字」の表記が使われるようになった。これは、武士を知行地から切り離して俸給で支払うような政策に基づくものである。いわば、武士のサラリーマン化である。つまり幕府が、土地を所有することをあらわす「名字」という表記を嫌って「苗字」という表記を広めたのだそうだ。ところで「苗字」の「苗」とはどういう意味か?「苗」とは、漢語で「先祖を同じくする者の集まり」だそうで、現在の「みょうじ」を表すには「苗字」という表記の方があっているのかもしれない。

(3) 武光氏の見解によると、最初に名字を名乗ったのは平安時代後期に関東南西部の武蔵に赴任した「武蔵七党」ではないかとのことである。

(4) 明治政府は1871年に平民に苗字の使用を許し、1872年に現在の戸籍の元祖とも言える「人申戸籍」を作った。この時点で、日本人は全て苗字(名字)を公式に持つようになった。では江戸時代以降、苗字と表記されていたものが現在では名字と表記されるのか、それは明治時代以降「苗」という字を嫌って簡単な「名」を使ったのだそうだ。

(5) 名字の数は約29万
※ 名字の数は10万〜30万と言われるが、電話帳の集計では少なくとも10数万はあるらしい。

# 東日本 対 西日本

(1) 東日本では武士の名字に由来するものが多いが、西日本は地形由来の名字が多い。

(2) 西日本の名字の種類は東日本に比べてはるかに多い。

(3) 東日本と西日本の名字の上位を比べると、西日本の名字の漢字の方が東日本の漢字よりも字画が少ない

# 東西の名前の分布の境界

・ 新潟県と富山県の県境(親不知)から岐阜県を横切り、三重県を横切って志摩半島にいたるライン。 

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