尾張国
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# 旧東海道。

# 現在の愛知県西部。

# 太閤検地での石高: 57万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。尾張国は46位。

# 「尾張国」の語源

# 尾張は昔は「烏波利」と書いた。
・ 北部四郡(丹羽郡葉栗郡、中島郡、春日井郡)=上四郡
・ 南部四郡(愛知郡、海西郡、海東郡、知多郡)=下四郡

# 「ヲ・ハリ(小針)」で「ハリ」は「墾」で土地を開くこと。「ヲ」は接頭語で、「小」をも意味し、「小さい開墾地」の意味。
・ 尾張は奈良からの移住者由来の地名。
・ 大和国葛城郡に高尾張と言う集落があった。ここから、今の愛知県に移住した人達を尾張_連(おわりむらじ)と呼ばれ、それに由来して地名になった。
・ 尾張: 開墾された土地と言う意味。

# 尾張国の一宮: 愛知県一宮市の真清田神社。

# 室町時代: 守護斯波家守護代織田家。斯波義重が1400年頃に、越前の織田常昌の子が美少年であるのに目をつけて、その父を尾張の守護代とした。

# 「尾張の由来」と関係するかはわからないが、出雲国風土記によると、「震(ひがし)」「坤(にしみなみ)」は「易の掛」による方位表示で、「(出雲国は)、国全体の形は、震(ひがし)の方を首(はじめ)とし、坤(にしみなみ)の方を尾(おわり)とするとある、とある。したがって「尾(おわり)」とは国の外れという意味ともとれなくはないが、「易の掛」による方位表示は「東にはじまり西におわる」とされ、国の西の端に「おわりの国」があるならともかく、東の方だから関係無いんだろうねぇ。

#  尾張の国号: 風土記にいう。日本武尊が東の夷(えみし)を征伐してこの国に帰還され、身につけていた剣を熱田の宮に奉納された。その剣は、もと八岐(やまた)の巨蛇の尾から出たものである。それで尾張の国と名づける。【出典

# 尾張国(おわりのくに): 東海道の1国で、現在の愛知県のほぼ西半部にあたる。地味豊饒であるのに加えて東西交通の要衝でもあり、大化前代より大和朝廷との関係も密接で、平野南部に本拠をもつ豪族尾張氏が尾張国造として勢力を有した。地名については「古事記」に「袁波里」、「日本書紀」に「烏波利」などと表記しており、近世に春日井郡小針村となる地の地名が国名になったとする説や、「万葉集」巻13に見える「小治田(おはりだ)之年魚道(あゆち)」をこの地方に比定して「小墾田(おはりだ)」に由来するという説などいくつかの語源説があるが、確実なものはない。【出典

■ 知多郡(ちた): 愛知県。古代より尾張国に見られた郡名。古くは智多郡とも書いた。【出典

■ 吾鬘郷(あつらごう): 尾張国丹羽郡吾鬘郷(愛知県)

・ 尾張の国の風土記にいう。丹羽の郡。吾鬘の郷。巻向の珠城(たまき)の宮に天の下をお治めになった天皇(垂仁天皇)のみ世、品津別の皇子は、生まれて七歳になっても口をきいて語ることができなかった。ひろく群臣に問われたけれども、誰一人よい意見を申し上げるものがなかった。その後、皇后の夢に神があってお告げをくだし給い、「私は多具(たぐ)の国の神、名を阿麻乃弥加都比女というのだ。私はまだ祭ってくれる祝(はふり・祭主)をもっていない。もし私のために祭る人を宛てがってくれるならば、皇子はよく物を言い、また御寿命も長くなるようになる」といった。帝は、この神が誰で、どこにいるのかを探しだすべき人を占わせると、日置部らの祖建岡君がその占いに合った。そこで神にたずねさせた。その時建岡君は美濃の国の花鹿(はなか)の山に到り、榊の枝を折りとって縵(かづら)に造り、祈誓して「私のこの縵が落ちるところに必ずこの神がいらっしゃるだろう」といったところが、縵はとび去ってここに落ちた。そこで神がここにおいでになると知って(縵の)社を建てた。この社名によって里に名づけた。後の人は訛って阿豆良(あづら)の里という。【出典

■ 若栗郷: 愛知県一宮市浅井町大日比野
・ 奈良期〜平安期に見える郷名。「和名抄」尾張国葉栗郡五郷の1つ。平城宮址出土木簡に「尾張国葉栗郡若栗郷□(月)□里」「敢石部赤□(猪)□□(年)□(米)〈□□養老□(四)年十二月〉」とある(平城宮木簡3)。式内社の若栗神社は、「尾張国内神名牒」に若栗天神とあり、当郷に存在したものであろう。「尾張志」によると、島村の枝村大家郷に和栗という地があり、これを当郷に比定する。現在の一宮市島村に和栗という字はないが、東隣の浅井町大日比野に東若栗・南若栗・向若栗の地名が見えることから、郷域は現在の一宮市浅井町大日比野・島村に比定される。【出典

■ 張田(はりた)の邑: 旧尾張国(愛知県)

・ 尾張の国山田の郡の山口の郷のうちに張田の邑がある。昔この辺に榛(俗にこれを波里という)が多い。云々。【出典

■ 大呉(おほくれ)の里: 旧尾張国(愛知県)

・ 尾張の国に大呉の里という所がある。旧記には大塊と書いている。その根元をたずねると、巻向日代の宮の治世(景行天皇)に、天皇が国を治めておいでになっているとき、西の方に大いに笑う声がしたので、怪しみ驚き給うて石津田連という人を遣わして見させると、牛のような顔をしたものどもが集まってひどく笑っていた。けれどもこの石津田はすこしも恐れる心もなく、剣を抜いて一つ一つ切り捨ててしまった。これによってその所を大斬(おほきり)の里といったのを、後になると誤っておほくれといいなすようになったとかいう。【出典

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