| 筑後国 | |
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# 旧西海道。
# 現在の福岡県の南部。
# 太閤検地での石高: 27万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。筑後国は36位。
■ 筑後の国号: 公望(きみもち)が考えるところによると、筑紫の国の風土記にいう。筑後の国は、もとは筑前の国と合わせて一つの国であった。昔、この二つの国の間の山にはけわしくて狭い坂があって、往来する人の馬の鞍※(したくら・鞍の下に敷く蓆)が摩り尽くされてしまった。それで土地の人は鞍※(したくら)尽くしの坂といった。第三説によると、昔この堺の上に※猛神(あらぶるかみ)があった。往来の人は半数は助かり、半数は死んだ。その数は大変多かった。それで「人の命尽くしの神」といった。その時、筑紫君と肥君(ひのきみ)らが占って、筑紫君らの祖甕依姫(みかよりひめ)を巫祝(ふしゅく)として祭らせた。それから以後は、路を行く人は神に害されなくなった。このことによって筑紫の神という。第四の説によると、その死者を葬るためにこの山の木を伐って棺を造った。このため山の木が尽きようとした。それで筑紫の国という。のち二つの国に分けて前(みちのくち)と後(みちのしり)としたのである。【出典】
■ 生葉(いくは)の郡: 旧筑後国(福岡県)生葉郡
・ 公望の私記にいう、考えるところでは、筑後の国の風土記にいう。昔、景行天皇が国めぐりを終わって都にお還りになると、食事係の役人がこの村にいて御盃を忘れた。云々。天皇は勅して「惜しいことをしたよ、私は酒※(うき)はや」と仰せられた。それで宇枳波夜(うきはや)の郡という。後の人は誤って生葉の郡と名づけた。【出典】
■ 上妻郡(かみつま): 福岡県。古代より筑後国にみられた郡名。筑後国の南部に位置し、「こうづま」ともいう。郡名の由来は、八女の由来が八女津媛から来ているのに因んで、加牟豆万は加牟都邪米がつまったものとする説がある。【出典】