「日下」の地名の由来
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■ 日下(くさか)の地名

■ 日下(くさか)

・ 「草香(くさか)」とも書いた。「日下(くさか)」は日あたりに良い王族の領地。日下は仁徳天皇の王子の、大日下王(おおくさかのみこ)の領地に因む。この時代の王族の領地は「名代(なしろ)」と呼ばれた。「名代」は所有者にちなむ名前を付された土地をあらわす。大日下王は、自分に従う地方豪族に、「日下部(くさかべ)」などの姓を名乗らせた。「日下」とは、日あたりがよく草が勢いよく茂った草原をさす。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】

■ 日下(くさか): 大阪府東大阪市日下町

# 日下は「孔舎衙(くさか)」と書き、大阪府東大阪市日下町に孔舎衙小学校の名がのこる。

# 神武天皇が東征し大和に入ろうとした際に、「草香」を支配していた長髄彦に敗れたという。この地は西から見ると真東、太陽が昇る真下にあったことから「日下」となった。【出典

# 日下(くさか): 大阪府東大阪市日下町。伝承によると、神武天皇が東征して、大和にはいろうとした時に、この地を支配していたナガスネヒコが草香を越えようとした神武天皇を打ち負かしたという。大阪府東大阪市の東端に位置するこの日下は、西から見るとまさに太陽が昇る真下であり、「草香山」は「日下」とも書かれるようになって、そのような経緯から「日下」は「くさか」と読まれるようになった。河内国のこの一帯は、神武天皇が来る以前にニギハヤヒの神が支配していた地域で、いわば大和政権以前の重要地点であった。この「日下」はまた「ヒノシタ」「ヒノモト」ともいわれ、そこから「日本」という国名が誕生したともいう。【出典

# 日下町(くさかちょう): 大阪府東大阪市日下町
・ 大阪府東大阪市日下町は、大阪府と奈良県境の生駒山地の西側直下にあり、日の出は遅く日陰地だった。【出典】 

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